「ふう……」

 ため息一つ付いて、読み終えた本を閉じた。 表紙の文字はロミオとジュリエット。 先日、奥様から借り受けた本だ。
 
 「案外知らないものね……」
 
 やや埃っぽい表紙を軽く叩きつつ、腰を上げた。 今更こんな本を? と思っていたが、自分の知識がどれほど浅いものだったかを思い知らされた。 こうも世間一般の認識と相違があるとは。 いやはや、毎度の事ながら奥様の考えは私の遥か彼方にあるらしい。 借り受ける際に現実とそうでない物の区別は自分でつけなさい、と言われた意図をやっと私は汲み取った。
 確か今日は午後からハル君の顔を見る為に一度この家に帰ってくる筈。 多少無理してでも昨日の晩に粗方を読み終えたのは正解だったと思える。
 
 「ねえ」
 
 短く、それでいて透き通る声が私を呼んだ。 声の主は振り返らなくてもわかる。
 
 「なぁに? 母さん」
 「この前、奥様から本を借り受けていたでしょう? ちゃんと読み終わったの?」
 「それは、もちろん」
 
 心配するような声色に、幾ばくかの苛立ちを感じつつ私は返事した。
 
 「そう。 今日は一週間ぶりにお戻りになられるのだから忘れずに返しておくのよ?」
 「……わかってる」
 
 短い受け答えにも、感情が爆発しそうになる。 そう、短大生になったばかりの私は目下全力で反抗期なのだ。 ……とは言え、他人の家でそれをぶちまけてしまおうとは思わない。 せめてもの予防策として私はこの場を離れようと足を踏み出した。
 
 「まったく……」
 
 そう後ろの方で漏れた母のため息を背中で受け止めつつ、私は目的の場所へと速度を速める。
 速度に比例して歩幅が大きくなっていた事に角を曲がってから気付いて直した。 壁に掛けてある鏡に映る自分を見つめ……口から漏れでたのはため息。
 
 
 「私だって……わかってるわよ……」
 
 
 
 誰に返答を求めたわけでもなく、誰に聞いてもらいたいわけでもなく呟いた言葉。 意味は二つ。
 一つは額面通り、忘れずに本を返すのは……という意味で、私にとっての問題は二つ目の意味。
 
 短大生になり、一気に世界が広がって、自由に出来るお金が増えた事でしたい事も増えた。 一人前……とまでは自負しないものの、ある程度大人としての意識も持っている。 なのに実際は母の娘として沖田家に雇ってもらっている。 あくまで母のおかげ、なのだ。 自立している自分と擁護されている自分……そのギャップから生まれる苛立ちを母にぶつけている事を……という意味だ。 もっと言うと、反抗期という言葉を借りる事でそれを免罪符のようにしている自分の姑息さにも呆れてしまう。
 
 「…………」
 
 とは言え、この状況も悪くはないのだ。 というか、むしろ良い。
 母親のコネから、沖田家のお手伝い(メイドと言うとどうも卑猥な意味が込められていそうで好まない)をしているのだが……母親に付いて良く出入りしていた沖田家だ。 私にとっては "訪問" から "勤務" へと建前が変わっただけで、どうもその差が実感できない。 その実やっている事も自分の家でやっている家事を場所を移してするだけなので、ストレスを特に感じる事もなく時間を過ごせている。 そして根本的に、私の仕事は他の方々とは少々異なっているのだ。
 
 加えてだ。 そこら辺に転がっているアルバイトよりも断然待遇がいい。
 
 「だからこそ……タチが悪い」
 
 これで何かしら仕事に文句があれば勢いに任せて止めるなり何なり出来る。 ……しかし。 この仕事を放棄する理由が見当たらない。 強いて言うなら母親と自由な時間が無くなる事だろうが、後者に至っては働く上での大前提であるから、論外。 前者にしても、気にしなければ何の障害にもなってくれないのだ。
 
 よって、現状はローリスクハイリターンという恵まれた勤務状態で私は生きている。
 
 と、利害ばかりでは無く止められない理由もあるにはあるのだ。 それが……
 
 「あか姉!!」
 「あらハル君。 どうしたの?」
 
 沖田家のご子息、ハル君だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 第一話 「 いつの間に覗きを職業にしたんです? 」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「今日ね、お母さん帰ってくるんだって!」
 「あら。 そうなの? 良かったわね〜」
 
 こちらに駆け寄ってくるなり、自慢げにハル君は言った。 私はしゃがんで視線を合わせてから微笑み返す。 ついでに頭を撫でたらくすぐったそうに悲鳴を上げた。
 もう何日も前から聞かされていた事だったが、小学六年生の子供に対してそれを告げるほど野暮ではない。 よって、知らないフリをする事にした。
 
 弾けそうな笑顔。 "訪問" をしていた頃には私に抱きついて来たりする事もあったのだが……どうやらそんな時期は終わってしまったよう。
 頭を撫でてあげるとくすぐったそうな顔をした。 照れて口を尖らせるが、振り払わない辺りまだ子供という事か。
 
 「今日ね、紗枝さんが教えてくれたんだ!」
 
 紗枝、という言葉に少し顔をしかめる。 母の名だ。
 
 「それでねそれでね、今日はもうお勉強しなくてもいいよって!」
 「良かったわね〜、じゃあゆっくり待っていましょうか?」
 「うん!! ……あ、雅さんにも言ってこなくっちゃ!」
 
 そう言うとハル君は、またね。 とだけ言い残して走り去って行った。 どうやら奥様の事を聞いたのは今日が初めてのよう。 以前、前もって奥様の帰宅を伝えたところ待ちきれなくなって脱走した前科を持っているハル君とは言え……子供に隠し事というのもどうかと思う。
 それにその予防策を実施したのは母だろう。 その事実に消化しかけていた苛立ちが復活する。
 
 と、突然聞こえたのは食器の割れる音、そして短い悲鳴。
 
 「坊ちゃま!?」
 「ごめん! それは見なかった事に!」
 「…………」
 
 ……なるほど。 やはり母の予防策は的を射ていたらしい。 伊達にハル君が生まれたときから看ているわけでもないようだ。
 
 「……それがまた、腹が立つのだけれど」
 
 呟いて、唇をかみ締める。 理由も無ければぶつけどころも無い思いが、ぐるぐると渦巻いていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 衝突事故を無視し、私は目的地へと歩を進めた。 いつも昼を食べるときは庭のテラスでと決めているのだ。 が……
 
 「やぁ、なんちゃってお嬢も昼かな? まぁ、座れ。 語ろうではないか」
 「雅さん……その呼び方は止めてくださいと言った筈です……」
 
 残念。 先客が居た。 指で向かいの椅子を指し示す……どうやらここに座れ、という意味らしい。 渋々私が席につくと、大口を開けて笑った。
 
 「久々に若いのと語らいたくての。 どうせ暇だろう? 付き合え」
 
 その喋り方から豪快な印象を受けるこの女性は雅さんという。 切れ長の目に艶が見える黒髪をロングにしているその姿はまさしく大和撫子といった感じ。 着物でも着せたら夜中に髪が伸びそうだ。 庭の手入れでもしていたのだろうか、無地のエプロンに少し土が付いていた。
 あぁ、そうそう。 口調だけだとわかりづらいが、どうやらまだ三十路は迎えていらっしゃらないそう。(まだ、というだけでそろそろ迎えるはず)
 
 「……その喋り方、母からまた小言を言われますよ」
 「はっはっは。 紗枝さんは固いからのー。 まぁ、私には効かんよ」
 
 ため息まじりに反抗するも雅さんは笑うだけ。 いつか「がはは!」とか言い出すに違いない。
 
 「でな、なんちゃってお嬢よ」
 「止めてくださいと言った筈です」
 
 ピシャリと私は言い放った。 この御方はどうもその愛称で私を呼びたがるのが難点だ。 昔理由を尋ねたところ、「沖田夫妻から娘のように可愛がられているから」と単純明快かつ、的を射た台詞が返ってきたのを覚えている。
 
 「くっくっく……」
 
 私の何が面白いのだろうか? 雅さんは勝ち誇った笑みを浮かべる。
 
 「……そろそろ恋人の一人くらい出来んのか?」
 
 沈黙。
 
 「…………脈絡の無い会話は嫌いです」
 「しまった、という顔をしてから発する言葉では無いな」
 
 なんとか声を絞りだした私に、やれやれという風に肩を竦めて雅さんは苦笑した。 まずは一敗。
 
 「雅さんにだって、あったでしょう? そういう時期が」
 「あぁ、もちろんあったな」
 「あったんですか……」
 「意外そうな顔をするな、誰しもが通る道だろうて……で、何があった? 相談ぐらい乗ってやろう」
 「ニヤつきながらの台詞でなければ考えてもいいですよ」
 
 私は基本的に他人に本心をさらすのを良しとしない。
 
 「……あぁそうそう。 お話するのを忘れていましたがハル君が探していましたよ?」
 
 なので、ご退場いただこう。 私の言葉を聞いた雅さんは一旦私を見つめ……無言で席を立った。 その表情はやれやれといった感じ。
 
 「まぁ、別にいいがの。 また後でな」
 
 短くそういい残して去って行った。 かくして私は一人の時間を手に入れた―――はずだった。
 
 
 パキ。
 
 
 右前方で枝の折れる音。 どうやら木陰に何かいるようだ……と思ったら人だった。 本人はなんとか隠れているつもりらしいが、背中が丸見えだ。
 微動だにしない所を見ると、下手に動くと見つかると考えたのだろう。 その判断は賢明だと思うが、 "まだ相手に見つかっていない" という前提が崩れている為に全く意味を為さない。
 
 「…………」
 
 気配を押し殺し足音を立てず、その人影に接近する……と、屋敷にいつもコーヒー豆を配達しにくるカフェの制服だと気付いた。
 静かに後ろに立ち、その後ろ姿から個人を特定する。 華奢な体つきにこの身長、そして天然パーマ……やはりこの人か。
 
 「にゃ、にゃー」
 
 と、何を思ったのか猫の鳴き真似を始めた。 可愛いと思っているのか、声が高い。
 が、今日の私はやや虫の居所が悪いのだ。 溜まった苛立ちが増幅する。
 
 よって。
 
 「ふっ!」
 
 ローキックを打ち込んだ。 ちょうど足の甲が尻にあたるように。
 
 「にゃ、にゃにゃー!」
 
 蹴飛ばされた時点で見つかっているのだが、どうやら彼の中ではその設定は生きていたよう。 情けなく突っ伏しながらも猫の鳴き真似はやめなかった。
 そして私を見て……あろう事か、ため息をついた。 いや、つきやがった。
 
 「なんだ、キミか。 雅さんじゃなかったっけ?」
 「ほう、不法侵入者がよく喋りますね。 自分の立場をご確認なさってはいかがでしょう?」
 「ちょ! 僕は仕事で……」
 「いつの間に覗きを職業にしたんです? 転職したならご一報いただかないと。 今までどおり屋敷に入れてしまうではありませんか……犯罪者を」
 
 最後の一言に思いの丈のすべてを込めた。
 
 「うおい! 確かにあんな怪しいところに居た以上不審者呼ばわりされるのは仕方無いが! まだ僕は覗きをした事は……!!」
 「今後覗く可能性が捨てきれない、と。 いい根性です。 早速警察に連行されてください。 初犯ですし、軽い罪で済みますよ」
 「待て、話し合おう! 誤解だ! 僕は悪くない! ねー! ちょっとー!? 黙らないでー!?」
 
 彼の服の襟を掴んで歩きだす。 前々から華奢な方だと思ってたけど本当に軽い。 女の私でも簡単に引っ張っていける。
 玄関に止まっているであろう彼の車に足を向けたが、いかんせん屋敷は広く案外大変だという事に気が付いた。
 
 「……勢いに任せて本気で通報してやろうかしら……」
 「あ、本気じゃないんだ?」
 
 ピタリ。 私の足の停止と共に空気も止まる。 振り向かないのは彼の表情が想像するに難しくないから。
 それにしても……どうやら私は感情が高ぶると口が軽くなるようだ。 今後気を付ける事にしよう。
 
 「いやー、さすが。 話がわかるね。 でさ、ちょっと聞きたいんだけど昼は食べた?」
 「…………あなたには関係ないでしょう」
 
 ぎゅ〜〜〜〜。
 
 「……うん。 正直な女の子って僕は好きだよ」
 
 より一層振り向くのが困難になった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「いいんですか? 仕事なんでしょう?」
 「いいんだよ。 仕事の途中で昼を食っとけって言われたんだから」
 
 場所は先ほどのテラス。 私と彼は向かい合って座っていた。
 私ここの厨房で作ってもらったサンドウィッチ。 彼は用意していたらしいコンビニ弁当だ。
 
 「ここの次に配達する所があるんだけどね、それがここから結構近いわけ。 ちなみに指定された時間が午後からって事なんだと」
 「それでわざわざ店に戻るよりも一旦何処かで時間を潰せ、と」
 「そういう事。 この屋敷の指定が午前の間だったから、ってのもあるけど」
 
 言い終えると、きちんと手を合わせて、「いただきます」と言った。
 
 「あなたってそういう所きちんとしてますよね」
 「当然だと思うけどね。 あ、しない人? 駄目だぞー、きちんと感謝しないと」
 「母親ですか、あなたは」
 「……まぁ、いいんだけどね」
 
 地雷を踏んだと思ったらしい。 彼はこれ以上その話題を掘り下げようとはしなかった。
 
 「あのさ、雅さんって怖くない?」
 
 黙々とサンドウィッチを食べていると不意に、彼がそんな事を口走った。
 
 「あなたの思うような人ではありませんよ、と立場上そう申し上げておきます」
 「余計怖いわ!」
 「雅さんと何かあったんですか?」
 「僕の突っ込みは無視ね……ついでにさっきの弁明もしておこうかな。 いやね、コーヒー豆をいつも通りに厨房に持っていったわけ。 するとあの……一番偉い人の、さ、さ……紗枝さん? だっけ?」
 「ええ、この屋敷のお手伝いの中で一番偉い人の名前はそうですね」
 「妙な言い方するね、まぁいいけど。 で、その人が昼でもどうですかって言ってくれたんだけど、残念な事に先にコンビニ弁当を確保しちまってたわけだ」
 
 そう言いつつ指で弁当を指す。
 
 「かと言って好意を無駄にするのもな、と思った僕は代わりに屋敷の庭で弁当を食べてもいいかと聞いたら快く承諾してくれたわけ。 そうそう、僕はこの屋敷の皆に顔を知られてるんだって?」
 「まぁ、何十人も居るわけではないですしね」
 
 交代制なので実際に屋敷に居る人数は十人にも満たないのがほとんどだ。 それに食事に関しては私達に一任している奥様がコーヒーは彼の店に限定した事が注目度を上げる要因になっている。
 
 「で、ここからが本題。 さっきの状況になっちゃった理由もここからだから。 いざ庭につくとだれかがテラスに座ってんの。 やたら綺麗に揃った黒髪だから、こりゃ雅さんだなーって」
 「偉い人は良く知らないくせに雅さんの事は知ってるんですね?」
 「や、僕って年上の大和撫子っぽい人がタイプ……って、痛! 脛、痛!」
 「……で、続きは?」
 「反論の余地は無しですかー? ……はい。 まぁ、それで堂々と見てるのも怪しまれるから、木陰に寄って……」
 「覗いてるじゃないですか!?」
 「あー……そう言われると……はっはっは」
 「死ね」
 
 再度、脛を蹴ってやった。 膝を抱えて脛をさする姿はなかなかに面白かった。 ざまあみろ、犯罪者。
 
 「で、隠れてる最中もちらちらと僕の方を見てるんだよ。 その視線が怖くて怖くて。 刺されそうだったもん」
 「まぁ彼女の場合、剣道の他にも様々な武術をやってらしたそうですから……」
 
 と、そこで考えた。 雅さんには剣や槍よりも薙刀の方が似合うのではなかろうか? 戦国時代に鉄砲が伝わって以来、主に女性の用いる武器になっていったそうだし。
 
 「ですから……?」
 「首だけが薙ぎ払われるかも知れません」
 「一気に飛んだね!?」
 
 ひっくり返りそうになる彼は放っておいて……成る程、そういう事か。 いくらなんでも男の話をするには突然だと思っていたら……彼に気付いていたのか。
 しかし人が悪い。 ちらちらと視線をやったのはその度にビクビクする彼の反応が面白かったとかその辺りだろう。
 
 「で、隠れていた間に私が来て」
 「さっきの状況になっちゃったってわけ」
 
 倒れそうになるのをなんとか持ちこたえた彼は食べかけのハンバーグに口を付けた。
 私もサンドウィッチに手を付け……ようとしたら彼が私を見つめていた。
 
 「なんです?」
 「いや、休日なのに大変だなって」
 「お互いさまでしょう? そういうあなただって休日を拘束されてるじゃないですか」
 「いやぁ、僕は好きでやってるからなー。 どっちかって言うと、バイトの意味合いの方がついでだし」
 「はぁ?」
 「女の子がそういう口の利き方をしない。 後、しかめっ面もしない方が良いよ」
 
 彼に指摘され、思わず口を隠す。 好きで? 何が好きなんだろう? 配達?
 
 「僕ね、将来自分の店を持ちたいんだ」
 「あぁ……」
 
 私の疑問は彼の自白により解決された。 成る程、目の前の賃金よりも将来への投資として現在の仕事を見ているわけか。
 それにしても……私と歳もそう変わらない彼がこんな明確な夢を持っているとは……
 
 「……見直した?」
 「ええ、とても」
 「……へ?」
 
 少し自分について深く思考していたので、どうやら脊髄反射で返事していたらしい。 私が捉えたのは彼の間抜けな顔。
 そして、微妙な空気になった。 何を言ったのか曖昧な私と戸惑う彼。 非常に居辛い空気になる。
 
 「…………あー、あーえっと、あ、そうだ!」
 「な、なんです?」
 
 流石に間が持たなかったらしく彼が声を挙げて沈黙を消し去った。
 
 「前から気になってたんだけど、なんでメイド服着てな……」
 「あなたのように変な妄想にひた走る輩が居るからです!」
 
 脈絡も何も無く彼の発した言葉は私の感情を逆なでするのに十分過ぎた。 今度は脳できちんと確認してから行動に移す。
 
 「脛、脛!!」
 「疲労骨折でもしていてください。 犯罪者」
 
 やはり通報しておくべきだったのかも知れない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 「んじゃ、紗枝さんにはありがとうって伝えておいて」
 「わかりました。 雅さん経由でお伝えします」
 「なぜ!?」
 
 いちいち突っ込んでくれる彼。 もう行けと手を振るとしぶしぶ車に乗り込んだ。
 と……
 
 「……ねーー!」
 「ハル君? どうしたのー?」
 
 屋敷の方を見るとハル君がこちらに向かって走ってきている途中だった。 彼もなんだ? と車から顔を出す。
 
 「あか姉ーーー!!」
 
 こちらに来るまでにハル君の違和感に気付いた。 どうみても全力疾走。 駆け寄るという表現されるような感じではない明らかな必死さ。
 そして私達の近くに来てもその勢いが止まらず……
 
 「きゃ!」
 
 私にタックルした。 特別に体が大きいというわけでもないから、なんとか耐える事は出来た。 一方、私にタックルしたハル君は彼の方を向いて、睨み、一言。
 
 「あか姉は僕のだから!!」
 「「へ?」」
 
 思わず私達二人は間抜けな声を出してしまった。 そしてある種の思考停止状態に突入する。
 
 「あぁ……はは、そういう事か」
 
 私よりも先に我を取り戻したらしい彼は納得しながら笑う。 その様子を見たハル君はより一層強く彼を睨みつけた。 ……と言っても所詮は小学生のする事。 その仕草は可愛いだけだった。
 
 「僕だって負けないよ。 お姉さんの事が好きなのは僕だって一緒なんだから」
 「え、あの!?」
 「じゃあね」
 「むー!!」
 
 彼は車から少し乗り出して、ハル君の頭をくしゃくしゃと掻き混ぜ……
 
 「あ、あの……」
 「じゃあ、また今度」
 
 意味深に微笑み……戸惑う私は無視して車を発進させた。
 
 「あぁ、もう……なんなの……」
 「ねえ! あか姉はどこにも行っちゃわないよね? 雅さんがあか姉が結婚して出て行っちゃうって!」
 
 泣きそうになるハル君をしゃがみ込んでから抱き締めた。
 
 「大丈夫、私はまだ結婚なんかしないし、出て行かないから」
 「ほんと? ほんと?」
 「うん、ほんと」
 
 ちゃんと目を見て微笑むとハル君も安心したようで、やっと笑顔になってくれた。 うん。 この子は笑顔が似合う。…………なのに、雅さん……何言ってるんですか。
 こんな素直なハル君を騙して何をしたいのか。 今頃屋敷の方から見ていて、ニヤついているに違いない。
 
 「じゃあ、あか姉、行こう?」
 「はいはい」
 
 ハル君に引っ張られるがままに歩き出す。 振り返ると彼の車はもう見えなくなっていた。

 
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