誰だと聞かれたら、知り合いと応える他無い。
 先輩でも、後輩でもない。 ましてや彼氏なんて持っての他。
 
 上司? 部下? いやいや、学生なんだから。
 
 あらゆる人間関係を表す言葉を自分のボキャブラリーの中から引っ張り出してくるが、どれもこれもしっくりと来ない。
 客観的には友達に該当するのだろうけれど、主観的な要素……つまり私の感情を交えると友達という距離感ではない気がする。
 
 よって、知り合い。
 
 無難な所だろう。 判断が付きかねる時は保留するのが一番だ。
 
 「おーい、ちょっとー!」
 「なんです? 知り合いの人」
 「……何その距離感」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 第二話 「 今ほどあなたに対して殺意を覚えた事はありません 」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 私と彼が出会うのは屋敷の中だけではない。 もちろん、街を歩いていたら……というような偶発的な出会いではなく、ほぼ定期的に出会う。
 要するに私と彼の関係は、 "沖田家の使用人とその屋敷にコーヒー豆を配達しにくる人" だけでは無いのだ。
 
 「いや、たまたま食堂でなんか食べようと思ったら君の姿が見えたから」
 「そうですか、偶然ですね。 知り合いの人」
 「だから何なのさ……それ」
 
 学内の食堂で一人、缶コーヒーを飲んでいると、彼が駆け寄ってきた。
 私の向かいに座ると手に持っていたパックのジュースやらプリンやらチョコレートやらをどかどか置いていく。 ……甘党なのか。
 
 「せめて友達って言って欲しいんだけど?」
 「先輩なのに同級生な人に言われたくないですね。 その微妙な状態をどうにかしてから言ってください」
 「うん? じゃあ、何か? 学校を辞めろ、と?」
 「その場合は知り合いの人に確定ですね」
 「じゃあ、留年でもしろと?」
 「年齢を考えたときの気まずさから顔見知り、もしくは赤の他人になります」
 「……それ、どっちにしても駄目じゃない?」
 「良く気付いてくれましたね。 知り合いの人……あ、いや。 先輩なのに同級生な人」
 「わざわざ言いなおさなくていい!」
 
 そう叫ぶと彼はプリンにがっつこうとして、一時停止。 ちゃんと手を揃えて「いただきます」 と言う。
 まったく……この人は……。
 
 「…………」
 
 これが知り合いと呼ぶにも違和感を感じる理由と共に、もう一つの関係だった。 彼は私と同じ短大で、しかも大学受験の際に一浪し、めでたく私と同級生なのだ。
 
 「ん? なんだコーヒーなんか飲んでるの?」
 「いけませんか?」
 「いちいち棘のある言い方をするなよ。 どうせ飲むならうちの店に来ればいいのに。 安くしとくよ?」
 「あなたの店、近いんですか?」
 「教えてなかったっけ?」
 
 私が無言で頷くと彼はあちゃぁ、と息を漏らした。 と、首に掛けられたリングのネックレスが目に付く。 シルバーらしいが、少し錆びたような黒ずみが所々に見える。
 
 「どうりで来ないわけだ。 よし、今から行こう! すぐ行こう! ヒマでしょ?」
 「なんですか急に……確かに暇ですけど、あ、ちょっと!」
 
 食べかけだったプリンを一気に流し込むと彼は私の手を取って立ち上がった。 このまま引っ張っていかれそうな勢いを感じて、思わずバッグと缶コーヒーの空き缶だけは手に持つ。
 
 「あ、もしかして……仕事とか?」
 「その事は口外しないようにと言っていた筈です……もう、別にいいですよ。 但し、その後で配達のついでに屋敷まで送ってください」
 
 ばつの悪そうな顔で振り向いた彼が年上とは思えないほど可愛くて。 なぜだか、少し赤くなった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 彼の店は、会社ビルが連なる通りから少し路地に入った所にある小さなビルの一階だった。
 
 「どもー」
 「おいおい、今日も配達があるんだから時間に余裕を……と……いらっしゃい」
 
 彼の影に隠れた私を見付けると微笑みながら優しい口調でマスターは言った。 年齢は……初老を迎えたあたりだろうか。 整えられた髪形に白髪が見えるが、老けて見えるわけでもない。 ダンディーなオジサマという感じ。
 小さな所だと思っていたら、どうやらカウンター席しかないようで、どちらかというとバーと言った方がしっくりくるのではないだろうか。
 
 「知り合いかい?」
 「うん。 学友と共にこれから配達しに行く沖田家のメイドさん」
 「ちょっと……」
 
 余りにもあっさりと言った彼を嗜めようとする私をマスターが止めた。
 
 「すみません、あなたの話は前々から聞いていたのですよ。 もちろん、秘密にしたがっている事もね」
 「はぁ……」
 「あぁ、もちろんあなたという個人が特定出来たのは今ですから、彼も完全に口を割ったわけではないので……屁理屈ですが、お許しいただけませんか?」
 
 私が客だからなのかわからないけれど、想像以上の低姿勢で謝られて私は逆に恐縮してしまった。
 
 「いえ。 ……別にかまいませんよ」
 「ありがとう」
 
 こんな一言にも重みがあるのは年の功だろうか。 黒縁眼鏡から覗く目が細められ、私に微笑む。 なんとも言えない雰囲気を持った人だ。 包み込むようで、慈しむようで……それでいてどこか暖かくて。
 木目調で統一された店内の雰囲気に見事にマスターは調和していた。 まるでマスターが店の一部分になったような一体感をかもし出している。
 
 「まだ少し時間はありましたよね? 彼女に一杯奢りたいんですけど、いいですか?」
 「あぁ、かまわないよ。 それに、お嬢さんの分は私からの奢りにしておこう。 ついでだ、一緒に飲んでいきなさい」
 「やった! 流石マスター!」
 「誰がお前に奢ると言った? ちゃんと後で給料から差っ引いておくよ」
 
 マスターの強かな一言に、うへ、と情けない声を漏らしながら彼はカウンターに突っ伏した。 私をそっちのけで展開にされる会話についていけず、私は黙ってその横の席に座る。
 
 「はは、冗談だ。 お前はお金が要るんだろう? そのぐらい私が補ってやるのもまた一興だ。 将来店を持ったときに奢ってもらう事にしようか」
 「お気遣いどーも」
 
 私に向けた笑顔とはまた質の違う笑顔を彼に向ける。 悪戯が成功した後の子供ような無邪気さを、その表情は孕んでいた。
 彼もそれは承知しているようで、ニンマリと笑い返す。
 
 「子供ですか……あなたは……」
 「いんや、もう成人の男性ですよ?」
 
 くそ。 そう言えばそうだった。
 
 「そうでしたね、本来ならば卒業を迎えようとしている年齢でしたね」
 「ぐ……きつい事言うね」
 
 一瞬苦虫を噛み潰したような表情をしたが、すぐいつもの調子で笑いながらわざとらしく肩をすくめて見せた。
 
 「ええと、仕事は何時から?」
 「私の場合はハル君が小学校から帰宅するまでに屋敷に着けばいいんですよ」
 「へえ、他の人たちとは違うんだ?」
 「単純に私がアルバイトという形式を取っている事もありますが……私の仕事はハル君の面倒を見る事を主として、その他全般の補佐という建前になっていますので」
 
 要するに、私は幼い頃から母に連れられてハル君の面倒を見てきたわけだが、それが仕事になっただけなのだ。
 そして、 "訪問" と "勤務" の境界線を曖昧にしている原因は一重にそこにある。
 
 「ん……え、ちょっと待て。 軽く相槌を打ったけど、何そのアバウトな勤務時間と内容」
 「 "私の場合は" と言った事を忘れないで下さい。 他の皆さんは厳格に決められたシフトで働いていますよ」
 「ふーん……あ、ちょっと疑問があるんだけどいい? そもそもどういう経緯があればそういう仕事に……」
 「それは又の機会にしてください。 つまらない話ですから」
 
 質問の内容的に母の事を話さなければならないと直感した私は彼を制した。 単純に事実だけを並べても良かったのだけれど、少しでも話す事によって母に一方的に反抗しているのを悟られたくなかったからかも知れない。年上で時折大人っぽさを見せる彼に対するちっぽけな意地、と言った所だろうか。
 
 それに……
 
 「おや、お出ししてもよろしいかな?」
 「すいません、お願いします」
 
 先ほどからコップに注ぐ手前で待っていてくださったマスターに失礼だ。
 
 「本当、すみません……」
 「いえいえ、よろしいんですよ。 話の腰を折らないのも、大切な仕事のうちでしょうから」
 
 そう言って静かに一杯のコーヒーを私と彼の前に出してくれた。 いい香りがする。
 BGMを聞きつつ、ただ一杯のコーヒーを余すところなく感じようと目を瞑り、嗅覚に集中した。 が……
 
 「へえ、ブラックで飲めるんだ?」
 「……今ほどあなたに対して殺意を覚えた事はありません」
 
 彼がそれを見事粉砕してくれた。 集中していただけに気持ちが引いていくのも実に早かった。
 
 「……まったく」
 
 マスターもお困りの様子。 眼鏡をずらして目頭を押さえため息をついた。
 
 「お前はもう少し口数を減らしなさい。 いくらいい物を出そうと、いくらいい店を構えようと、そこの主人一つで印象は大きく変わってしまうのだから」
 「……まったくです。 情緒という物がないんですか?」
 
 マスターの諭すような言葉と私の突き刺さる言葉を同時に受けた彼はばつの悪そうな顔した。 ちなみに今回はあまり可愛くない。
 
 「それに引き換え、お嬢さんは随分良い雰囲気を持ってらっしゃる」
 「そうですか?」
 
 突然の言葉に、呆けた顔で聞き返した私にマスターは微笑んでくれた。
 
 「お前も少しは見習いなさい。 すみませんね。 どうぞ、飲んでみてください」
 「はい」
 
 納得のいかないらしい彼はブツブツと文句を言っている。 そしてそれをマスターに窘められている姿を横目に、私はコーヒーに口をつけた。
 
 「どうです?」
 「あ、はい。 おいしいです。 すみません……他に言葉が見当たらないのだけれど……本当においしいです」
 
 一瞬。 私は驚きで言葉が出せなかった。 いつも屋敷で飲んでる物とは格段に違う。 私の貧相なボキャブラリーでは表現しきれない。
 
 「その言葉で十分ですよ。 ただおいしい。 言葉をどれだけ尽くそうとも、あなたの中でそれは変わらないのですから」
 「……本当、ごめんなさい」
 
 いえいえ。 そう言ってマスターは満足げに笑った。 その様子を見ていた彼が口を開く。
 
 「今のはそういう風にした方がいいんだ?」
 「これが模範解答だと言う気はないけどね。 受け止めるべき時と、投げ返すべき時を間違えるようじゃまだ駄目だな」
 「今のは受け止めるべき時だって事?」
 「そういう事。 お前のは論外だ。 せっかくお嬢さん御自分の世界に入られたのに、お前が引き戻しただろう。 まずは何事も受け取る所から始めなさい」
 「マスターの言葉ってわかりづらい……」
 「わかりやすい言葉で得られるような回答なら、今すぐにでもお前は店を持てるよ」
 
 まるで禅問答のような会話に、彼は頭を抱えた。 そしてそのまま首をギギギと動かして私に目を向ける。
 
 「君はわかる?」
 「わからなくはないですね……少なくとも自分なりの解釈は出来ますよ。 それがマスターの意図する所と同じかどうかまではわかりませんが」
 「はは、よっぽどお嬢さんの方が向いているんじゃないのか?」
 「酷いよ!?」
 
 マスターからの茶々に突っ込む彼は本当に子供ようだった。
 相変わらず突っ伏したままの彼の頭をマスターは一度叩き、顔を上げさせる。
 
 「よく覚えておくんだよ? 店にはいろんな人が来る。 特にこの店のように小さな店舗を構えるなら特に客との関わりが密接になってくる。 その中で悩みや苦しみを抱えた人だってくるだろう……と、お嬢さんには聞いていてもつまらないね、また帰ってきてから……」
 「別にいいですよ。 私もぜひ聞いてみたいですし」
 
 マスターの言葉を遮って、私はそう言った。 マスターがどんな感性で世界を見ているのか、それが気になったのだ。
 
 「ならお言葉に甘えるとしようか。 そういう悩みを抱えた人はただ一度の出会いだからこそ……口を開いてくれる事がある。 そういう人の心に土足で踏み込むような真似だけはお前にはしてもらいたくないんだよ。
 ただ、受け止め……必要ならば返してやる。 ただの店員と客の関係でしかないのにそれ以上の物を返そうとしては駄目だ。 求められた分だけを返してやりなさい。 間違っても、気持ちを押し付けるような事だけはしてはならないよ。
 たとえどんな人の言葉にも耳を傾けてやりなさい。 一喜一憂してやりなさい。 そして最後は……寄り添ってやりなさい」
 「……ん、ん〜……つまり……その……なんだ? あくまでも僕たちは受け止める側に甘んじていろと?」
 「私に答えを求めるんじゃない。 そして、私の言葉も覚えておくだけでいい。 あくまでも私の考えだからな」
 「真正面から否定しても良いって事?」
 「お前の考えが私と相反するならな。 そろそろ配達の時間だろう? 車を回してきなさい」
 「わかった。 じゃあ、ちょっと待っててくれる?」
 
 私の返事もろくに聞かないまま彼は店を飛び出していった。 私とマスターは顔を合わせ、苦笑い。
 
 「まったく、言った傍から節操の無い……」
 「ですね……あ、あの、お話聞けてよかったです。 ありがとうございました」
 「いやいや、こんな老いぼれの感覚などがどれほどの物か……」
 「そんなご謙遜なさらなくても……私はどちらかと言うとマスター寄りの考えみたいです」
 「おやおや……そうですか」
 
 ただ受け止める……か。 こんな素敵なマスターが居るなら自分から聞き出しても良かったかもしれない。
 
 「……あ奴とはどういったご関係で?」
 
 ふいに、マスターが真剣な表情で私に問いかけた。
 
 「ええと……その……」
 「恋人、ですか?」
 「あ、いや! それは違い、ます……」
 
 尻すぼみにそう漏らすと、マスターは残念そうな顔をした。
 
 「残念です。 あなたのような女性と居るなら、もう少し腰を落ち着けた物の見方が出来るようになると思うのですが……学友以上ではありませんか」
 「はぁ……」
 「はは。 そんな困ったような顔をしないで下さい。 冗談ですよ」
 
 ニヤリ。 先ほどの無邪気さを孕んだ笑顔。 こちらもつられて笑顔になる。
 そして、ひとしきり笑った後、マスターの顔が引き締まって、再度真剣な表情になった。
 
 「もし、あ奴とどんな関係であれ、時間を共有する事があるなら……お願いです。 あ奴の過去には触れないでやって欲しいのです」
 「へ……?」
 
 私は耳を疑った。 時間が停止し、張り詰めた空気が店内に充満する。
 
 「あ奴には後ろを振り返って欲しくない。 今前を向いて走り出した以上、走りきってもらいたい」
 「あの……それは……どういう……」
 「理解せず、納得して下さい……お願いです」
 
 ふかぶかと頭を下げられ、私は何も言えなくなった。
 彼に何があったんだろうか? それにマスターは関係しているのだろうか? 様々な疑問が浮かぶが、口から発せられる事はなかった。
 ただ、それでも。 どうしても聞いておきたい事がある。
 
 なんで、私に……?
 
 そう口にしようとした所ではたと思いついた。 過去という言葉の中には、恐らく年齢……つまり一浪している事も何か関係しているのだろう。
 そして私はさっき……彼に向かってなんと言ったか? たぶんマスターはその言葉を聞いて、このお願いに繋がったのだろうか。
 
 「先ほどの事ですが……」
 
 ……やはり。
 
 「あ奴は確かに一浪している事実は隠そうとしません。 ですが……必要以上の追求は……どうか……」
 「……わかりました。 納得、しておきます」
 
 悲痛な程のお願いをさせるのが苦しくて、そう応えていた。 私は関係する事もできないような事があったのかもしれない。
 なにか理由があるんだろう……強引にそう考える事にした。
 
 「ありがとう」
 
 ついさっき聞いたばかりの言葉。 だけれど、その響くは重くて、暗くて、悲しくて。 これ以上、言葉を発する事は戸惑われた。
 そして結局、彼が呼びにくるのを私とマスターは無言で待っていたのだった。
 

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