A heart to be in love " 恋する心 "
――― Summer

雨が降りそうだからと美咲と晴菜とは早めに解散したが、目の前の窓に付き始めた水滴がその意味が無くなった事を示した。

(あちゃー結局降っちゃったかー……)

流れる景色を電車の中から見ていた薫は、相変わらず窓にぶつかる水滴を見ながらそう思った。

時刻は夕方7時。
いつもはまだうっすらと明るい空を雨雲が覆い隠している。

と、電車は駅にゆっくりと停車し人がほとんど居なくなった。
ちょうど端の席が空いたのでそこに座った。その間も雨はその勢いを増し、窓にあたる水滴の量がそれを物語る。

(傘持って来てないよ〜……)

窓の外を確認して、次に持っていた鞄を開いて、ため息をついて、脱力する。
電車がゆっくりと動き出した。薫が降りるのは次の駅だ。

(そういえば、諒はどうしてるんだろ?)

準備のいい諒の事だ。
折り畳み傘くらい持って行っているだろう。もしかしたら振り出す前に帰宅しているかもしれない。

「…………」

ふと、諒が相合傘で女の子と歩くところを想像した。
しかし、いまいちリアリティがない。なによりも、諒の顔がはっきりと思い出せない。
そういえば最近、ちゃんと諒の顔を見る事がなかった気がする。

「はあ……」

窓には先ほどにも増して水滴が付いている。
気分を暗くさせるような雨雲をみて、一つため息を落とした。





Episode 13
― 少なくとも今は・後編 ―





自分と諒の関係は案外脆い物なのかもしれない。
諒には言っていないが、薫は最近そう思う事がある。

小さな頃……確か幼稚園に入る頃に引っ越して来て、諒と出会った。
それ以来ほぼ毎日と言っていいほど時間を共有している。

だから諒の事は良く知っているし、諒も薫の事を良く知っている。
その上で今の関係があるのだから、それなりに信頼関係が築けていると思ってもいいはずだ。

(でも……)

信頼している。しかし、ただそれだけの事なのだ。
確かに薫と諒の信頼関係は並大抵のものではないが、男女としてのそれとは似て非なる物である。

昨日の諒との会話を思い出す。
自分が諒に言った事は、すなわち諒も思っている事で。
諒に向けて発せられていた言葉はその実、自分に向けられていたのかもしれない。

(いつか、諒の横にいるのは私じゃなくなるのかな……)

と、ブレーキがかかり、車体が揺れた。電車が減速しつつ薫の降りる駅に侵入して行く。
やがてドアが開き、電車を降りた薫は少し前を歩く見覚えのある後姿を見付けた。

「諒!!」
「うおっ! なんだよお前も今帰りか?」

いつも通りの諒になぜだか無性に安心する。

「何してたの〜?」
「クラスの男子何人かで遊びに行ってたんだよ。そっちは?」
「私は美咲と晴菜とちょっと買い物に」
「ふ〜ん」
「聞いといて興味なさそうにするな!」
「って! 何すんだよ!」

左腕を弾く。諒が何か言っているがお構いなしだ。
薫の心は諒の顔を見て、少し気が晴れていた。

「あっ、じゃあ美咲ちゃんはまだ電車乗ってる?」
「うん。たぶん乗ってると思う」
「じゃあ啓吾に教えてやるか。あいつ、傘持ってないって言ってたから駅に居るだろ」

携帯を取り出して啓吾に電話を掛ける。
すぐに出たようで、携帯から啓吾の声が少し漏れてきた。

(何か今日の私は変だ)

外が曇っているからそれに比例して気分も落ち込んでいたのかもしれない。
そう思ってしっかりと諒の顔を見た。額ににきびが出来ている。

「うわ、にきび出来てる〜」
「そうなんだよな〜薬塗っとかないと……あれ? 薬無かったような……」
「まあ無かったらうちの使えば?」

いつもの様に他愛のない話をしつつ改札を通り、駅の入り口まで来た。
相変わらず雨は地面を叩いている。

「傘持ってる?」
「お前は?」

苦笑いを互いに浮かべる。
状況確認にはそれで十分だ。

「走るか」
「だね」

仕方ないなといった風に肩をすくめつつ言う諒に薫は短く答えた。
すると諒は着ていた上着を脱いでTシャツ姿になった。脱いだ上着は薫の頭にかけてやる。

「かぶっとけ」
「いいの?」
「ほら行くぞ」

薫の質問には答えず、諒は手で少し顔に雨が当たるのを避けつつ雨の中を走り出した。
それを追うように薫も走り出す。足元で水溜りがはじけた。

「待って〜〜!」

諒を見ていたら、電車内での憂鬱は吹き飛んでしまっていた。

たぶん、仮定の話をいくら考えたところで意味はないのだ。
もしこうだったら……とか、それは想像でしかない。
そんなものは目の前の諒に比べたら小さいものだ。

晴菜の言葉の意味もわかる。

確かに諒だって恋をして、恋人が出来るだろう。そしてそれはそう遠くない未来かもしれない。
だけど、少なくとも、今は諒との関係は保ったままで居られてる。
それでいいじゃないか。

「諒ー!」
「なんだー!」
「なんでもないー!」

とりあえず、これからはもっと顔を見て話そう。
少し前を走る背中を見つめつつ、薫はそう思った。
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