A heart to be in love " 恋する心 "
――― Summer

「ん……」

カーテンの隙間から朝日がちょうど薫の顔に降り注ぐ。
その光りは強く、瞼を通しても外の明るさを感じさせた。

「まだ明るいじゃん……」

突っ込み所ではあるが、それは無視する事にする。

ぼやけた視界で時間を確認しようと布団から顔を出した。
いつもは激しい自己主張をし、ベットから落とされているペンギンは休日なので沈黙を守っている。なのでちゃんと定位置で薫を迎えた。

時刻は二時。

「そろそろ起きますか〜!」

昨日と同じく伸びをして、ベットから出た。
腹ごしらえにと、一階に向かう。

「あれ?」

ドアを開けた薫を迎えたのはカーテン等も全て締め切られ、真っ暗な部屋だった。
もちろん、いつもの母親の姿も見えない。
と、テーブルの上に置いてある紙が目についた。

「まぁ、また諒のおばちゃん達と出かけてるんだろうけど……」

見慣れた字で書かれたメモを手に取り冷蔵庫に向かう。
レモンティーの入ったペットボトルを取り出して一口飲む。

「あ、やっぱりだ」

その紙には諒の両親と出かけること、昼食と夕飯は自分でなんとかする事がいつものように書かれていた。
薫は予想通りだったのでメモを適当に読む。が……

「えっ……?」

最後の行に目が留まり、思わずペットボトルを落としそうになった。

「諒の体調悪いの!?」





Episode 14
― 過去の残像・前編 ―





「あ〜……何年ぶりだろ……」

悪寒やら気持ち悪さやらで、諒は眠りから覚めた。
薄く瞼を開けて、視界を確認する。
時刻は二時過ぎ。一度起きたのが十時ごろだったので、かれこれ四時間は寝ていたことになる。

「つっ……頭いてえ……」

食欲がわかないが、何かしら食べようと思い体を起こした瞬間、激しい頭痛が諒を襲った。
同時に気分まで悪くなり、ベットに倒れる。体に力が入らない。

と、下のほうでガチャガチャと玄関のドアを開ける音が聞こえた。

「ん……?」

一瞬、両親かと思ったがそれは無いなと至極あっさりと可能性を切り捨てた。
となると、答えは消去法で導かれる。その間にも足音が近づくのを諒は感じていた。

煩いぐらいの足音が止まり勢いよくドアが開く。そこには真っ青な顔をした薫が息を切らせて立っていた。

「諒!!」
「よぉ……なんて顔してんだよ。っていうかもう少し静かに上がって来いよ……大体なんでわざわざ……」
「大丈夫!?」

諒の嫌味も気にする事なくベットの横に駆け寄ってくる。そして諒と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
相変わらず顔は真っ青なままだ。目も見開かれたままで相当な焦りが伝わってくる。

「何焦ってんだよ、ただ風邪だって」

その様子を見た諒はわざと呑気に笑って言う。

「で……でも、私のせいでしょ!?」
「は……?」
「昨日私に上着かけてくれたから……雨……」
「あぁ……」

薫の一言に一瞬意味がわからない諒だったが、流石にそこまで言われるとわかった。
気にすんなと言いつつ薫の頭に手をやると小刻みに震えてるのが伝わってくる。
体調とは全く関係無い要因で諒の心臓がドクンと高鳴った。

「な、泣くなよ……」
「だって〜……」

安心したのか、泣き出した薫。その頭にそっと手を乗せ、撫でてやる。

「諒がまたあの時みたいに……」
「ま〜だそんな事言ってんのかよ……」

次はペシンと額を叩いた。
薫がびっくりしたような表情で諒を見つめる。

「もういいから、薫……悪いんだけど、氷水とタオル持ってきてくれない?」

諭すように薫を落ち着けるように、優しく言う。

「あっ、ごめん……」

すぐ取ってくる! そう言い残して薫は部屋を出て行った。
部屋に残された諒はため息を一つ落とす。しかしその表情は先ほどとは打って変わって朗らかだ。

「ほんと馬鹿だな……」

呟いたその言葉の真意は諒にしかわからない。
額に滲む汗を手で拭いつつ、物思いにふけった。
いろんな事を思い出す。そういえば高校に入ってからゆっくりと思いを巡らす事は無かった気がする。

浮かんだのは初めて薫と出会った日の事だった。






幼稚園に行き始めた年の初夏。波川 薫は現在の家に引っ越してきた。

「ほら、薫! 隠れてないでちゃんとご挨拶しなさい」
「今日からお隣さんの波川 薫ちゃんよ? 仲良くしようね?」
「うん……」

横で自分に話しかける母親の顔は見ていなかった。
知らない女の人の後ろでチロチロとこちらの様子を伺う少女 ――― 波川 薫を諒は見つめていた。
その頃は周りに友達はおろか女の子の友達なんてまったく居なかった諒にとって、気恥ずかしいような嬉しいような複雑な気持ちだったのを覚えている。

「ごめんねぇ、この子恥ずかしがっているみたいなの」

わざわざ自分に目線を合わせる為にしゃがみこんだ薫の母親に諒はぶんぶんと首をふった。
無意識のうちに感じていたのかもしれない。この子は悪い子ではないと。

「あらあら……」

ありがとう。と頭を撫でてくれた薫の母親に満面の笑みで諒は返した。
一度視線を外した諒が再び薫を見ると、さっきより少し柔らかい表情だった。
少し安心したのだろう。しかし、左手ではしっかりと母親のスカートを握り締めているあたりにまだ緊張の色が伺えた。

「引越しの片付け、まだなんでしょう?」
「ええ……食器とかがまだ……」

頭の上で会話する親達を気にする事もなく、諒と薫はただお互いを見つめ合っていた。
もちろん会話は無い。歩み寄る事もしない。無言でひたすらに見つめあう。

「えっ、いいの?」
「もちろんよ〜、一気に仲良くなってくれたらラッキーでしょ?」
「じゃあ……お願いしようかしら」

諒。と、名前を呼ばれて声のした方を見上げると母親が笑顔でそれを迎えた。
今では何かの前兆としか受け取れないが、その頃は最高の微笑みだった事に変わりない。諒は快く頷いた。

「薫ちゃん、今日一日片付けが終わるまで預かるから仲良くしなさいね?」
「うん!」
「薫、諒君と仲良くするのよ?」
「うん……」

消えてしまいそうな声に諒が振り向くと、薫が不安に押しつぶされそうな顔をしていた。
直感で、なんとかしないと。そう諒は思い、ポケットに手を入れた。すると指先がなにやら固い物に触れた。
もちろん、それに心当たりはあった。朝、台所から母親の目を盗んで取ってきた物だ。

薫の方に一歩踏み出すと、薫が一歩下がる。
だけど諒は気にせずにポケットの中のそれを取り出して薫に差し出した。

「あーげーる!」
「えっ……」

びっくりしたような薫が諒と目を合わせると、諒はまた満面の笑みを見せ、続けた。

「あーげーる! レモン味おいしーよ!」

大好きな戦隊モノのロゴがプリントされたレモン味の飴玉。
レモン味ばかり食べるから最後の一個だったが、目の前の女の子為なら別に良いと思えた。
まじまじと差し出された飴玉の包み紙を見て、みるみる間に薫の表情は明るくなっていく。
そして……

「ありがとう!」

薫も諒に負けないくらいの満面の笑みで返したのだった。




「……何ニヤついてんの……?」
「ん……ってうぉ!」

ふいに掛けられた声に懐かしい思い出から一気に現実に戻ってきた。
声のした方、つまりドアの方を見ると薫が洗面器を両手に持って立っていた。
予想外の事態に諒の顔が風邪とはは別の理由で赤くなっていく。

「別に何でもねーよ……」
「じゃあ何で赤いの〜?」

ニヤニヤしながら薫が近づいてくる。
あまりの恥ずかしさから、せめてもの抵抗に顔を背けた。
後ろの方でチャプチャプとタオルを濡らす音が聞こえる。

「そんなに怒んないでよ〜、ほら顔こっち向けて」
「…………」
「わ、顔真っ赤」
「うるせぇ」

いつもとは違って薫の言いなりという微妙に悔しい状況だが、諒は大人しく従った。
汗をふき取ってからもう一度氷水でタオルを洗ってそれを頭の上に乗せられる。

「さっき、何考えてたの〜?」
「……お前んちの家族と旅行に行った時の事考えてた」
「へぇ……」

笑顔で聞く薫に諒は言った。なんとなく、咄嗟に嘘をついた。
相手と話す時は顔を見るタイプの諒だが、天井を見ながらやや半目で話し始めたのは罪悪感からかもしれない。

「お前さ、覚えてるか?」
「何をー?」
「繁華街に買い物に行ったら速攻で迷子になってさー」
「そうだったっけ?」

薫はひざ立ちしていたが、諒に背を向けるようにして座りながらベットにもたれた。
お互いに姿を見ずに会話する。なんだが不思議な感じがした。

「覚えてないのかよ?」
「そんな昔の事覚えてませんー」
「ちぇ、つまんねー」
「何よそれ!」

口ではそう言いつつも薫は笑っていた。
諒が少し元気そうになった事で、安心していたからだ。

また、諒が苦しむのを見たくない。
昔の記憶が頭によぎる。

「じゃあ諒は覚えてる? 諒と私が一緒にかがみ山に行った帰り道に犬のフン踏んで驚いてー……」
「おま……ちょ、まだそんな事……」

全部を言われなくても諒にはわかった。
それは諒の人生の中でも消したいランキングに間違いなくトップ10入りするものだからだ。

「溝にはまってー、お気に入りのおもちゃ潰れちゃってー」
「ちょ、マジ止めて……」
「あはは、ごめんごめん。そだ、また今度、ひさびさにかがみ山に行こうよ」
「あー、まーいいけど」

かがみ山とは薫と諒の中学の裏にあった山の事で、幼い頃からよく遊び場にしていた所だ。

「でさ、覚えてる? 小学校の卒業式の日に……」
「……悪い、疲れたら寝ていいか?」
「あっ……」

安心していつものようにベラベラと喋り始めた薫を諒が遮った。
薫が振り向くと……諒が汗びっしょりで少し荒い息をしていた。余りにも驚いてまた目を見開く。

「あ、ご、ごめん、諒風邪なのに……」

心臓が締め付けられたように痛む。
同時に、首を絞められたような感覚に襲われる。

「いや、別にいいって……じゃあ、寝るな」
「うん……」

そういって諒は目を完全に閉じ、意識を手放した。
しばらくその様子を見ていた薫は我に帰ってタオルで諒の汗を拭き、もう一度氷水で洗ってから額に戻した。

悔しそうに顔をしかめ、唇を噛む。

まだ少し荒い息をする諒の顔を見下ろす。
会話が無くなり、途端に静かになった部屋で時計の音だけが耳に届く。



沈黙。





「ごめん」

諒の前髪を払ってやりながら、もう一度かみ締めるように……そう呟いた。
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