A heart to be in love " 恋する心 "
――― Summer

「諒ー! 早くー!」

諒が余所見している間に駆け出した薫は少し行ってからそう諒に声を掛けた。
すると諒が驚いたようにこちらを見て駆け出した。

「薫ー!!!」
「えっ?」

驚くほど真剣な声で叫ぶ諒に何が起こったがわからず立ち尽くしてしまう。
その間も真剣……というよりはむしろ焦っているようにも見える諒が全力で走ってくる。

どんどん諒が近づくとともに、右側から差し込む強い光に視界が侵食されてゆく。

「薫!!」

そして、目の前にまで来ていた諒はそのスピードを緩める事なく、薫を突き飛ばした。

崩れる体勢。目の前の諒。
全てがスローモーションになり、諒の顔だけを薫の目は捉え続ける。
ゆっくりと、目もくらむような光りに諒の左手が、左足が、その姿さえも、覆い隠されてゆく。

「諒ーーーーー!!!」

たまらず薫は諒の名前を叫んだ。




Episode 14
― 過去の残像・後編 ―





「…………」

頬に当たる温かい違和感を感じて、波川薫は夢の世界から帰還した。
不思議とその違和感に嫌な感じはしない。

いつか触れた温もりを思い出す。
いつだっただろうかと目をつむりながら記憶を辿るが、答えには行き着かなかった。

「…………」

しばらくその感触に身を委ねていた薫だったが、うっすらと目を開けて自分の状況を確認した。
目の前の光景がオレンジに染まっている。

(もう、夕方なんだ……)

目の前の光景からそんな事を冷静に考えていると、ゆっくりと眠る前の事を思い出してきた。

諒が眠りについてから何度かタオルを交換して、諒の顔色が良くなってきたので安心してそのままベッドに突っ伏したのだった。
今はちょうど、諒の方からは顔が背けられている格好になっている。

「薫、ありがとな」

突然、元気そうな声が後ろからかかった。
諒は薫が起きている事に気が付いていないので独り言なのだろう。

それと同時に先ほどの温もりは諒の物であると気が付いた。

(温かかったなぁ……)

が、薫は何も言わずそのままでいた。

「それと……、ごめん、さっきお前に嘘ついた。
旅行に行ったときの事なんて考えてなかった。初めて会った時の事考えてたんだよ」

諒の手が薫の顔に掛かっていた髪の毛をのける。
その優しい心遣いが嬉しくてたまらない。

「お前さー覚えてるか? おばさんの後ろにピッタリくっついてよ」

そのまま諒は髪を撫でる。

「覚えてねえんだろうな〜」

ひたすら独り言を言う諒が少しおかしい。

(手、大きいな……)

そういえば、まともに諒の手を触る事も見る事も何年も無かった気がする。
ずっと変わらないでいると思っていた諒の変化を改めて直視した。

いつも何気なく触れてる手も大きくなってるんだ。

嬉しいような、どことなく寂しいような。
複雑な感情が薫の胸を締め付けていく。

(いろんな事が、変わってく……)

高校になって、自分だけが変わった気でいた。
美咲と啓吾と友達になって恋愛に対して随分考えも変わった。
それだけではない。晴菜やその他クラスメートとの関わりは薫にとって新しい発見ばかりだった。

そして先日の茜屋での会話。
変わっていく環境や、恋愛観とは裏腹に、あまりにも諒は諒のままで。

だからこそ、諒が何かを改まって言いかけ、そして止めた時。
口ではああ言ったが、薫は安心していた。

(やっぱ、違うんだよね……)



わざと薫は起きようとはしなかった。

「……助かったよ、お前が居てくれて良かった」

いつもは聞けない優しい声。優しい言葉を聴いていたかったから。


そして何より。

随分と長くなった自分の髪を撫でてくれる手のぬくもりが、感触が。



余りにも、心地よかったから ―――
















夜、薫はベットに疲れて倒れこみながら諒の手の感触を思い出していた。
そして耳の中では諒の優しい言葉がずっと響いている。

一人になって薫自身もいろんな事を思い出した。

「あー、見つかってよかった」

子供の頃諒にもらったクッキーの缶を持ち上げて薫はそう言った。
あの後……つまり諒の看病が一応は終わったので、すぐに帰ってきて色んな物を詰め込んだ箱をひっくり返してこの缶を探したのだった。

もちろん、目的はある。
この缶自体では無く、これの中身だ。

「よっと」

そう言いつつ勢いを付けて体を起こす。
埃を払いながらその缶を開けた。

「わっ……」

瞬間、薫の目が見開いて、表情が喜びに染まる。
探していた物が一番上に入っていて、すぐ目に飛び込んで来たからだ。

「忘れるわけないじゃん」

それを指で摘んで光りにかざす。

「私だって、初めて会った時の事ぐらいちゃんと覚えてるよ、諒のバーカ」

指の先を見つめて微笑む。
薫が見つめているのは、あの日とほぼ変わらない、諒が薫に渡した飴玉の包み紙だった。
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