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図書館の準備室には勝手に拝借したのだろう、本来空きスペースにあるはずのイスが設置されている。
近頃、またイスが一つ消え、入り口に置いてあったはずの観賞植物が消えたイスの位置に移動されていた。
「ふい〜……生き返る〜……」
その少し低めのふかふかしたイスに諒は倒れこんだ。
「駄目もとで図書室に来てみたけど、正解だったな。皆元さんがいてくれて本当に良かった」
シャツのボタンを真ん中辺りまで外して少しでも冷やされた空気を内側に取り入れようとする。ちなみにネクタイは外すと面倒なのでつけたままだ。
下にTシャツを着てるので全開にしても校則的にもファッション的にも何の問題もないが、それをしないのは人間性が出ているといえる。
「ん……?」
天を仰ぐように視線を天上に移す。そると窓を見ると団扇がレールに立たせてあるのが目に入った。
すぐさまそれを取り、服の中に風を送り込む。
ほてった体が一気に冷やされ、思わず、ブルっと体が震える。この感じが諒は結構気に入っている。
「ふ〜……こんなに暑いのに何してんだが……」
外ではせわしなく蝉の鳴き声がこだましている。
昼休みと同時に出て行った啓吾と美咲に向けて、そう呟いた。
(なんか、"付き合っている" っていうのを見せ付けられたみたいだ……)
これまで啓吾と美咲は露骨に付き合っているのを見せようとはしなかった。
だからこそ今日二人が連れ添って出て行ったのには多少なりとも驚いていた。
もちろん、驚いたのは諒だけでは無く、クラス内ではちょっとした騒ぎになっている。
(単純に恥ずかしいのか、それとも理由があるのか……)
いろんな候補が浮かんでは消え、考えても仕方ないのだと思考を中断した。
そして特に理由もないのだろうと勝手に結論をつける。
(いやでも、何もないってのもそれはそれで変だし……)
思考が堂々巡りに入る寸前、入り口のドアが開き晴菜が顔を覗かせた。
「やほっ、私も一緒にいてもええかな?」
やけに澄んだ声が部屋に響く。
夏の独特なモヤの様な空気を払拭してくれる……そんな声だった。
Episode 15
― ターニングポイント・前編 ―
晴菜の姿を認めると諒は急いで外したシャツのボタンをとめなおした。
「もちろん。どうぞ……って言うのも変かな?」
「どっちでもええんちゃう? こんなんて形だけもええとこやろ〜」
「そりゃそうだ」
晴菜の言葉に諒もわざとらしく大げさに返した。
初めて会ってから数日も経っていないのにとても近い存在に感じるのは彼女の性格によるところなのだろうが、警戒心を持たせない笑顔も要因の一つだろう。
そんな事を暑さでふやけた頭で諒は考えていた。
「委員の仕事は? いいの?」
「大丈夫。今先輩とはる君おるし〜、あ、私にも団扇貸してや」
壁に立てかけてあったパイプ椅子に腰掛ける晴菜に団扇を渡す。
その時……
「ぁっ……」
と言ったのは諒だ。聞こえるか聞こえないか、微妙なボリュームの声が漏れた。
団扇を渡すとき晴菜の指が触れたのだ。同時に高鳴った自分の心臓に情けなさを感じ、自分を鼻で笑う。
(あれだけの事でドキっとするなよ俺〜……)
一方晴菜は一瞬、何事かと首を傾げたがそんな事など気にも留めず、パタパタを仰ぎ出した。
「しっかし、あっついな〜」
ショートの髪が風に押されて、ふわりと舞う。
汗が光る首筋に妙な色気を感じた。
「彼氏君は?」
「二人でどっか行っちゃったよ」
「なんや、あからさまに付き合ってますーって感じやな」
「ほんと、独り者の気持ちを考えろって感じ」
まったく同じ感想を口にした晴菜に親近感を覚えた。
「うわ、切な!」
「うるさいな……」
一度高鳴った自分の心臓が平常に戻っているのを視線を外しつつ確認する。
いつも通り話せているなと安堵した。
「諒君のそれ……癖?」
「へ……? 何が?」
「髪の毛弄くってるの。無意識って事は癖なんやな〜」
「えっとー……マジで?」
「マジマジ。大マジや。他の事考えとる時ちゃうかな? ボーっとしてる時してるで」
絶句した。
そしてはたと気が付く。左人差し指でもみ上げあたりを弄くっている。
「うぁ……」
思考停止状態から戻ってきた諒から発せられた言葉はなんとも情けないものであった。
「なんよその声〜」
「なんか物凄く恥ずかしいんだけど」
寝顔を見られたとかそんな感じ。と諒は付け加える。
それに対し、わからんでもない例えやな。と、頷きながら晴菜は返した。
「そういえば、かおりんは? クラスに居らんかったみたいやけど」
「あぁ……風邪ひいたってよ」
居心地が悪そうに諒が言う。
なぜか椅子に座りなおした。視線が泳ぐ。
「へぇ? 珍しいな〜、なんかあったん?」
「あぁ……うん……まぁ……さぁ?」
「何よ?」
キョトンとした表情で見つめてくる晴菜からの視線を今度は意識的に逸らした。
「また目、逸らすし……まぁええけど。……そや、前から言おうと思ってたんやけどな、メルアド交換せえへん?」
「……あー、別にいいよ」
いきなり話題がぶっ飛んだので反応に遅れたが、諒はきちんと返事した。と思った。
特に断る理由もないし、と携帯を出す。が……
「なんよその言い方〜」
いかんせん、言い方が悪かった。
ポケットから目を移すと晴菜が拗ねたような表情していた。
「いや、特に意味は……」
「せっかく女の子から言ってんのに…… "仕方ないな" 的な言い方されたらな〜……やる気なくすわ」
「本当に深い意味はなくて……」
「へえ〜? ホンマ〜?」
少し前のめりになって上目遣いに晴菜が聞く。
拗ねているような表情。無意識に薫がそれに重なる。そして……
「や、マジだから……えっと、その、うん。……なんかもうごめん」
最終的に謝った。
なぜ謝ったか自分でもよくわからないが、とりあえず謝った。
打ちひしがれる諒の姿に晴菜がプッと噴出する。
「ははは、別にええよ。ちょっとからかっただけやって……って、あれ? かおりんと携帯違うんや?」
「そりゃあ、まぁ。なんで?」
携帯のロックを解除しつつ晴菜の声に反応する。
諒がチラッと覗き見ると女の子らしくハートマークのストラップが目に留まった。
と、思ったらその横にやたら大きいスナック菓子のストラップ。晴菜のセンスはどうなっているのだろうと考え込んでしまう。
「なんかさー漫画とかやったら大抵幼馴染って同じ携帯使ってない? えっと、まず私から送るな〜」
「そんな理由? まぁ、最初は同じ携帯だったんだけど……わかった。赤外線どこ?」
お互いに携帯を向ける。
すぐに完了の画面に変わった。
「やっぱりー。じゃあ何で今は違うん? ……って、えっ? 会社まで違うやん」
「なんかさ、最初の携帯を自分の意見完全無視して買われたから……その反動だってよ」
「ぶ……」
「ついでに形も完全に別にしたいって理由だけでスライド式選んでた。意味わかんないよな」
「かおりんらしくて……くく……なんかええわぁ。萌えるで」
顔を背け、口を手で覆ったまま晴菜は携帯を諒に向けた。
諒もそれに応えて今度は送信画面を表示している携帯を突き出す。
晴菜にも容易に想像できたのだろう。薫が「今度は諒と違うのじゃないといやだー! うらー!」とか言ってる状況が。
「くく……あ、ちゃんとフルネームで入れてるんや」
背けていた顔を戻し、携帯の画面を確認した晴菜がそんな声を挙げた。
「皆元さんは " はるな " って名前だけだったよね。なんで?」
「いや、真面目に理由聞かれても困るねんけどな。女の子には少なくないと思うねんけど?」
と、特に他意もなく口にした晴菜だったが、案外それが地雷だった。
「……女の子とメルアド交換とかした事ないんで……もち薫抜きで」
「うそやん!?」
驚きの余り目を見開いたままで晴菜は携帯の画面から視線を外し、諒を見る。
すねたような面白くないような……複雑な表情がそれを迎える。そして……
「中学の時に携帯持ってなかったわけやないんやろ!?」
「いや……まぁ、持ってたんだけどね。うん」
少し悲しい顔になった。
本格的に気にしているらしい地雷を晴菜は踏んだ……というか、壊さんばかりの勢いで踏み潰したようだ。
「…………」
目は逸らしていても晴菜の視線を諒は感じる。
晴菜も人の目を見て話すタイプだろう……と、漠然と諒は思っていた。それが今、確信に変わる。
「ま、ええか。諒君て積極的に女の子誘うタイプでもなさそうやし。奥手やろ?」
「否定できないね。はは」
晴菜の視線が外れるのを横目に確認してから、パタパタと手で自分の顔を扇ぐ。
が、顔の火照りがなかなか直ってくれない。
「今日は暑いな……」
「…………」
「えっと……何さ?」
「諒君て、実は意地っ張りやな」
「放っといておいてくれよ」
面白くなさそうに唇を尖らせた諒だが、晴菜はニヤつく一方だった。
と、
「晴菜さん、ちょっと手伝ってくれない?」
図書委員だろう、男子生徒が顔を出した。
見慣れない顔だ。そしてなぜだか顔が赤い。
「ほいほい。……なんかあったん? 顔、赤いで?」
「これは……うん。気にしないで。強いて言うなら……幸福の代償っていうか、よく考えたら上手くやられたっていうか、でもやっぱりラッキーっていうか……」
「いや、そんな遠い目で言われてもワケわからんて。諒君ごめんな、また今度連絡するから〜」
「…………あぁ、うん」
何処か上の空な男子生徒の背中を押しつつ、去り際に飛び切りの笑顔を見せた晴菜。
あくまで形式的に口にしただけで、特に意味は無いのだと気付くのに数秒掛かった。
ドアが静かにパタンと閉まり、再び一人になった途端、盛大なため息をついた。
「何やってんだか……」
いろんな意味を込めて、そう漏らす。
いつもは耳障りな蝉の声があまり気にならなかった。
「……あ、そうだ」
ふと思い立って仕舞ったばかりの携帯を取り出し、慣れた手つきで操作し始める。
電話帳を開いて電話番号にカーソルを合わせた。が、一旦止まる。
時間にして約三十秒。たっぷり考え、下キーを一つ押してメルアドを選択した。
送信ボタンを押しからふうと一つ息を吐き出して、背もたれに体を預ける。
ちょうど頭上にある窓から空が見えた。
「まったく、俺は何がしたいんだよ……?」
昨日の感触が、ほんの少し手に残っていた。
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