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A heart to be in love " 恋する心 "
――― Summer
「あら珍しい。一人?」
諒が茜屋の扉を開けると茜が驚きの表情で迎えた。
「薫は風邪で、啓吾と美咲ちゃんはデートですよ」
「そう……学校は? やけに早くない?」
「サボりとかではないんでご安心を。七時間目の授業が先生の都合でなくなったんです」
諒が言うと、茜はなるほど。と言いつつ納得したように頷いた。
「注文はいつものでいい?」
「……あ、ちょっと待ってください」
いつもの流れでカウンター席に座ると、準備に取り掛かろうとした茜を呼び止めた。
その視線の先には新豆入荷と手書きで書かれたポップが一つ。
「今日は……アイスコーヒーでお願いします」
「はいはい。急にどうしたの?」
「まぁ、たまには大人っぽく行ってみようかと」
あらそう。と少しからかうように笑う茜。
居心地の悪い諒は見なかった事にした。
「……卓さんはどうしたんです?」
「前の職場に、豆をせがみにね。いい加減、迷惑だから止めた方がいいって言ってるんだけど」
精神的劣勢からの話題転化が見え見えだったが、茜はそこを突いたりはしない。
こういった細やかな所に彼女の人柄がよく表れている。
「ははは。卓さんの前の職場はコーヒー豆を扱う所だったんですか?」
準備をしている茜の背中に問いかける。
徐々にコーヒーのいい香りがただよってくる。
「ん~、まぁそうね。 カフェをやる傍ら店で扱ってるコーヒー豆を卸したりとか」
「そうなんですか」
「ちなみに私達がこの店を開く時にもあちらのご厚意でいろいろ助けてもらったのよ」
興味津々に聞く諒の前にアイスコーヒーが置かれる。
「へえ……いい香りですね」
ほろ苦い香りが諒の鼻をくすぐった。
Episode 15
― ターニングポイント・後編 ―
「ん……」
カーテンの隙間から差す太陽の光りで薫は薄っすらと生気を感じられない目を開けた。
セミオートで先ほど目が覚めた時に頭の近くに置いた携帯を手探りで探す。
「確かこのへん……あ、あった」
体が弱っていたせいもあるのか、布団や枕はほとんど乱れていない。
記憶どおりの位置に携帯はあった。
ボタンを押すと待ち受け画面がすばやく映り、新着メールと不在着信を知らせるアイコンが出た。
どのメールも美咲や晴菜等仲の良い友達からで、心配をしているという内容ばかりで少し感動する。とりあえず全員に返信した。
ふうと息を一つついて、窓の方に目を向けた。
中途半端に空いたままのカーテンが気になったので、全開にする。部屋に光が入り込んで来た。
「また夢……かぁ……」
暑さと風邪のせいだけではない大量の汗が薫の額に滲んでいる。
汗を拭った左手がその量を薫に伝えた。
「夏なんか……大っ嫌いだ……」
だって暑いんだもん。と、思い出したように付け足す。
しかし、薫の自身の思いとは裏腹に強く握り締められていた右手はカーテンを掴んだまま一向に離す気配を見せない。
無意識に、奥歯をかみ締めた。
「っと……」
そんな薫の状態を察したように手に持った携帯が振動し、ボタンが光る。
「諒か。何だろ?」
テロップに見慣れた名前が流れたので若干面白味にかけるなと思いつつ、ボタンを操作した。
メールの文面はいたってシンプル。絶対安静。……と、思っていたらちょうど画面が切れていただけで、まだ下にも続きがあった。
『大人しく寝てるか? 帰りに駅前寄ってデザートでも買っていってやるよ。 昨日の分だからな、期待していいぞ。』
昨日の分、という表現が諒らしいなと思った。
読んでいて少し顔がにやけてしまう。今まで自分にかかっていたモヤの様な暗い気持ちがすっと引いていく。
「……言われなくても、わかってるよ」
諒のメールが純粋に嬉しかった。
なぜだか目頭が潤む。
ここの所迷惑かけっぱなしだったなと、いい感じに体が弱っている為素直になっている薫は思った。
何か諒にしてあげれる事はないかと思案を巡らせつつ、ヒントを探して自分の部屋を見渡す。
「あ……」
薫の目が見開かれ、喜びにその表情が染まる。
目が止まったのは春ごろに美咲と啓吾を含め四人で出掛けた時に買ったアクセサリーだった。
「おお、インスプーションだ! ……ってあれ? インピーションだっけ?」
残念。インスピレーションだ。
やはり薫は薫だった。当然といえば当然であるが。
「……って何考えてんだろ? 私らしくないなー」
自分で言って、自分で笑う。
「でも、いいや。たまには、ね」
諒に何かをしてあげたい。
今はその気持ちを大切にしたかった。
「たまには……私だって……」
諒のメールはただの偶然かもしれない。……いや、たぶん偶然なのだろう。
それがわかっていても、薫は嬉しかった。
自分が苦しいとき、やっぱり諒は欲しいリアクションをくれるんだと思った。
メールで言われた通り、布団に戻る。
そして目を瞑った。
「…………」
視界が塞がれたからか、昨日の心地よい感覚が戻ってきた。
心地よい……久しぶりのあの感じ。それにゆっくりと浸る。
次に目を開けるときは、諒がデザート持って来てくれているんだと思いながら。
店内は静かだった。
BGMに流行りの曲がギター版で流れるだけ。
時折茜がグラスを磨く音とグラスの氷が崩れる音がする。本当にそれだけだった。
「何か悩み事?」
「……なんでわかるんです?」
ふいに茜が口を開く。
取り分け焦る事もなく諒が聞き返した。
「一つは……ここに来た事。わざわざ一人で……まぁ、今日の場合は自然と一人になったんだろうけど、一人ならさっさと帰るのが普通じゃない?」
「なるほど。他には?」
「もう一つは、女の勘って事にしとこうかな?」
「うは、意地悪だ」
観念したように諒が息を吐き出す。
その様子を見た茜は椅子を持ってきて、カウンターを挟んで諒の向かいに座った。
「言って楽になる事もあるわよ」
「…………」
残り少ないアイスコーヒーに口をつけてから間を置いて、諒は口を開いた。
「……自分がこうだろうって思ってた事と現実が違ったんですよね~」
若干の開き直りが見て取れるほど自虐的に話す諒。その姿には後悔、憎悪、悲愴……様々な感情が見て取れる。
また息を吐き出しながら天を仰いだ。
「茜さんなら、どうします?」
「えらく抽象的な質問ね。私にどう答えて欲しいのかな?」
「……どう答えて欲しいんでしょう?」
苦笑するしか出来なかった。いっその事、大げさな冗談にしてしまえたら……とすら考えた。
自嘲的な笑いがこみ上げてくる。
「久しぶりにね……自分の事が嫌いになりましたよ」
「そう……」
「茜さんにもそんな事ってありますか?」
「もちろんあるわよ。伊達に人生を歩んじゃいないから」
少しおどけたように茜は言う。その言葉には諦めのような感情が入り混じっている。
「……さっきの質問は忘れてください。ここからが今日の本題です」
「何かしら?」
また、諒は逃げこむようにアイスコーヒーに口をつける……が、残念。もう底をついた。
茜は何も言わない。これから聞かされるであろう言葉はとても重いものだろうから。
諒がまたあの時みたいに―――
思い出すのは昨日の薫の言葉。それと同時に奥歯をかみ締める。
深く息を吸い込んで、たっぷりと時間をかけ、諒がついに口を開く。
「今日、女の子を好きになりかけてしまいました……」
まるで切り取られたような店内に諒の声が冷たく、そして重く響く。
外の世界では依然として、蝉の声が空気の振動を支配していた。
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