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「どうしたんだー? 放ってくぞー?」
「あぁ、先に行ってろ」
遅刻すんぞ。と声がしてドアの開く音がする。
「……呼び止めて何を言うんだよ?」
自嘲気味に自分に問いかける。もちろん、返事は無い。
大きなお世話だよな。と自分を笑う。
「……また、俺は……」
奥歯をかみ締める。強く握られた右手は震えていた。
数秒の硬直の後、啓吾はもう一度風を感じるように遠くを見つめ、ゆっくりと目を瞑る。
それに応えるように風が吹き、啓吾の体を包み込むように駆け抜けて行った。
啓吾はそんな久しぶりの感覚に身を預ける。
深く深呼吸して息を吐き出す。風と一体になる感じ。それが堪らない。
……実は啓吾が諒の語った話には続き、即ち諒には言わなかった目的があった。
その目的とは、美咲に比べて無感動で醜い自分を思い知る為だ。
Episode 16-ss
「…………」
一人になるとどうしても気分が下がり、どんどん昔の黒い自分が出てくる。
それを啓吾は "落ちる" と表現する。
「おい啓吾ー! ここに居るのはわかってるぞー! 出て来ーい!」
「ここだよ、上だ」
下から聞こえた口調だけは男の、しかし声は思いっきり女の言葉に返事する。
しばらくすると淵から美咲が顔を出した。
「どうしたの……って、あー……落ちた?」
啓吾が "落ちる" のは美咲も知るところである。
「落ちたっていうと偶発的みたいだな、 "落ちに来た" が正確な表現だ」
落ちるところまで落ちて、客観的に自分を見つめる。
いかに自分が美咲と釣り合わないかを真正面から受け止める。
それが啓吾の "自分を思い知る事" だ。
「うわ、久々だよねー。てっきり無くなったのかと思ってた」
「高校に入ってからは無かったな。っていうか、暇が無かった」
「確かに。なんか中学の時と違って堂々と一緒に居れるもんね……横いい?」
さりげない一言。ああ、と微笑んでそれに応える。
こういう細やかに気遣いを感じる為にも啓吾は "落ちる" 。
「暑いなー。あ、でもいい風ー!」
啓吾と同じ様に目を瞑りながら風を感じる美咲。
その横顔は実に幸せそうだ。
「そういえばさー、うちの学校ってなんで水泳の授業ないんだろうねー?」
「あぁ……確かになー、まぁ俺は着替えるのが面倒だから好都合だけど」
自分を思い知ると、不安になる。
美咲はこんな自分を好きで居てくれるのか? と。
「……ま、お前の水着姿をわざわざ他の野郎共に見せてやる必要もないさ」
「うわ、歯が浮くー!」
きゃー! と甲高い声を美咲が挙げる。
それと同時に赤くなっていくのは啓吾の顔だ。
「けっ、人がたまにこういう事言うと茶化しやがって」
「ごめんごめん、怒んないでよ。……啓吾、ありがとね嬉しいよ」
そんな風に何度も不安になる。だから自分を変えたくなる。美咲に好かれていたいと思う。
今のこの状態に安心してはいけないのだと、美咲に甘えてばかりではいけないのだと思う事が出来る。
「あのね……さっきはごめん、叩いちゃって」
「あれは自業自得だ。俺もごめんな」
ほら、こんな風に美咲が優しすぎるから甘えたくなるんだ。
誰に言うわけでもなく、心の中で啓吾はそう呟いていた。
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