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ある日の昼休み。
学食には少し変わった三人組の女子生徒の姿があった。
「お二人さんや、叶わない恋に意味はあると思う?」
「いきなり何? 何かあった?」
「いひぃなりぃにゃにぃひゃ」
一人は関西弁を話し、それに対面するように座る一人はある程度知名度のある美人。
そして、その横に座る最後の一体はスライムだ。
Episode 17
― まとわりつく風 ―
いつもの仕返しとばかりに男二人をさっさと放置して学食に来たところ、そこに晴菜が通りかかった。
これがこの三人組になった理由だった。
「……ちょっとごめん、待ってて」
「わひゃひぃはひぇひゅにぃ……ぶへ」
美咲が思い切り薫にチョップを振り下ろした。が、顔はおろか視線も向けられていない。今日も自立思考型自動追尾装置は滞りなく稼働しているらしい。
クリーンヒットした薫はおおよそ思春期の女の子とは思えない声を漏らす。
「飲み込んでから喋ろうね?」
「あい……」
「ははは、あんまりかおりん苛めたらあかんでー」
と言いつつも薫の頬を突いている辺りに言葉の信憑性に欠ける事がわかる。
薫は面白くなさそうに頬を膨らませたが、結局効果は得られなかった。
「で、どや?」
「んー……微妙だね。ここで啓吾が居たら即刻意味無しって言うんだろうけど……」
「確かに啓吾君だったらそうかもね〜……った!」
うんうんと薫が大げさに頷いたのが気に食わなかったのか、もう一発チョップが振り下ろされる。
これによって薫はノックアウトされた。広げた弁当にはあたらないように斜め前を狙って、ばたんと大げさに突っ伏す。
が……
「で、最初の質問に戻るけど、何かあった?」
「あったと言えばあったなぁ……けど、無いと言えば無いな。あー、勘違いせんように先に言うとくと、私の話やないから」
「ふうん……まぁ、いいけど。矛盾しまくりだよ?」
「まぁ、ええやん」
完全スルーだった。
「彼氏君やったら確かにそう言うっぽいな。じゃあ、美咲はどうなん?」
「ん……」
ピタリと箸の動きが止まる。
「……んー……、私は意味あると思うよ。まぁ、願望に近いんだけどね」
「そっか、あるんか……」
やっぱりな。と続くはずの言葉はため息へと変わる。
その様子に多少の焦りを感じたのが美咲だ。
「基準にしないでよ? その人がどこに恋愛の意義を置くかにもよるんだから」
「そんな小難しい事言わんでもたぶん美咲と一緒やと思うわ」
笑いながら言う晴菜。中途半端な態度に違和感を覚える。
晴菜を見る面白くなさそうな美咲の気持ちは、晴菜が何を考えているかわかない。その辺りだろう。
「んじゃ、知り合いがそういうしんどい恋愛してるとして、美咲やったらどうする?」
「関係無いね」
「へ?」
今度はほぼ間を空けることなく答えた。
不意をつかれたように間抜けな声を挙げる晴菜に、美咲は言葉を続ける。
「どうするも何も、それ以前の問題だね。そもそも恋愛に周りは関係ないよ」
言い終わると残り少ないご飯を黙々と口に運ぶ美咲。対照的に晴菜は苦笑する。
「……わかってたんでしょ?」
「まぁな〜、やっぱ考え方が違うとこもあるけど、基本は同じやな……なぁ、かおりんもいい加減起きや」
「む…………」
スルーされた事が悔しいらしい薫は顔をしかめながらゆっくりと起き上がる。
そんな姿に晴菜は微笑んでいた。
「ついでに聞くけどかおりんはどう?」
「ついで言うな! むー……私は……」
そこでピタリと動きが止まる。
私は?
その言葉が薫の中で木霊していた。
「ねー、叶わない恋って意味あると思う?」
「……いきなり何だよ?」
夜。窓から乗り出して疑問を投げ掛けたのは薫で、それに対面する形で窓の淵に腰掛けているのが諒だった。
いきなり薫から呼ばれ、開口一番、発した言葉がこれだった。意図を読み取れない諒は怪訝そうな表情を浮かべる。
「や、純粋な疑問なんだけど。どう思う?」
「んー……」
互いの家の隙間から覗く星空を見上げ唸る諒。質問に対してか、薫の意図に対してかは判断できないが、薫は次の言葉を待った。
「……悪いな、答え見つかんねーわ」
白状するように漏らした言葉は弱弱しく、諒は自嘲的に笑う。
そっか。と薫も呟くだけ。言葉が続かない。
「…………」
沈黙を破ったのは諒だった。
「お前は?」
「む……私もわかんないんだよねー。それに引き換え美咲は凄いよ。即答だったもん」
「へえ、なんて?」
「意味はあるけど、それは願望に近いって言ってた」
「…………へえ」
もし、その場に居たのが薫達ではなく、自分と啓吾だったら?
ふとそんな事が頭をよぎった。啓吾なら何と答えただろうか?
少なくとも即答するに違いない。 加えるなら、その言葉は曖昧な物ではなくてはっきりとした自分の考えから出る言葉だろう。
啓吾はそういう "自分" という芯を持っている。
誰かがこう言っていたから……とか、他人に影響されない芯を持っている。
例え他人が否定したとしても、自分の道はここだと貫いていける人間。
(啓吾も美咲ちゃんも、たぶんそういうタイプ……)
夏特有のうだるような暑さをまとった夜風が吹く。 先日、屋上で感じた風とは全く違う……まとわりつくような風。
それが、ただでさえ沈んでいる諒の心をより憂鬱にさせる。
(まるで、俺と啓吾みたいだ……)
あの時感じた風のように啓吾は見るべきところを見つめ、風のように障害物も関係なくそこに向かって駆けているのだろう。
それに引き換え、自分はなんだ?
自分にそう問いかける。答えがないのもわかっていた。
まるでこの風のように……行き場所を見失って、何かに寄り添っていないと消えてしまうほど、ノロノロと走っているのだから。
(これが、"差" か……)
所々で感じていた自分と啓吾の差。こと恋愛や人生……人として大切な部分で浮き彫りになる……曖昧で、絶対的な、それ。
付き合っているからなのか……はっきりとした理由はまだ見えないが、その差が薫の話でも手に取るようにわかった。
「ねえ、聞いてる?」
「聞いてるよ」
ねめつけるような視線をスルーして、諒は空を見上げた。今日は珍しく月が綺麗だ。
薫もつられるようにして、切り取られたような空を見上げる。何気なく、夜空に浮かぶ紅一点を掴み取るように手を伸ばしてみる。
ふと見ると、諒も同じように手を伸ばしていた。しかしその表情は穏やかな割には、どこか苦しそうで。
「……いいよね、こういう感じ。満天の星空よりも好きかも」
その表情を見ていられなくて、話題転化を試みる。
結局、薫が言いたい事も感じている事も、発散される事はなかった。
「へえ、意外。お前は無闇やたらにでかくて綺麗なのがいいのかと思ってた。儚さとか感じる感性が残ってたんだな」
「うっさいなー、しかも何? 成長するにつれてボロボロ無くしていったーみたいな言い方」
「……ははは、冗談だよ。気にすんなって」
また、違和感。
消えてしまいそうで、目を凝らしていなければ見失ってしまいそうな……そんな感じ。
それも今の諒に問いかける事は出来なかった。
「本当に綺麗だよねー」
また、夜空を見上げる。 月が綺麗で良かったと思った。
少なくとも、視線の逃げ場にはなるから。
諒も又、口にこそ出さないが同じことを思っていた。 薫の真っ直ぐな瞳が、今の自分では耐えられそうにない。
「なぁ……」
消え入りそうな声で諒が発した言葉は、薫の耳には届かなかった。
今にも消えてしまいそうな風にすらその振動はかき消されてしまう程、声は小さかったのだ。
「…………」
「ん? なーに?」
声は出なくとも、顔は薫の方を向いていたらしい。薫が首をかしげた。
一瞬。空気が止まる。
「……なぁ、こういう風って鬱陶しいよな」
その一瞬の間に本来発しようとした言葉は飲み込まれ、違う言葉になって諒の口から出た。
文脈も、何もない言葉。
「なにそれ?」
「ん、あー……いや、何でも」
ないから。 そう続けられようとしていた諒の言葉を薫が遮った。
「まぁ、吹いてないよりはマシじゃない?」
「……そっか」
その言葉に意味が無い事くらいわかっている。
自分の言葉を額面通りに受け取った結果の返答である事ぐらいわかっている。
しかし。
「……そっか、そうだな」
「変な諒」
「あ、お前そんな事言うか。明日の朝放置決定な」
「それは駄目ー! 絶対駄目!」
「いーじゃん、遅刻してろよ」
「意地悪ー! 死んじゃえー!」
「死んだら苦労するのは誰だ?」
「む……ばかぁ」
その言葉が欲しかったのは事実だった。今の自分を肯定されたかった。
たとえ、薫の意図する所ではなくても。
「嘘だよ、マジに取るなって」
拗ねて俯く薫の頭に触れようとして、止めた。行き場を失った右手は空中を彷徨い、結局はポケットへ。
また、まとわりつくような風が篭った空気を残して二人の間をゆっくりと通っていく。
(吹いてないよりはマシ……か)
空を見上げ、月に手をかざしてみる。
まとわりつくような感情も、この時だけは少し楽になった。
例え遅くとも、まとわりつく様でも……それでも前に進んでいる筈だから。
少なくとも、そう思う事が出来たから。
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