A heart to be in love " 恋する心 "
――― Summer

 雨が降り出したとき、迎えに来てくれるのはいつも諒だった。
 
 「かおるちゃーん、かさもってきてあげたよー」
 「あ、りょうくん……」

 例え一人で泣いていてもテレビのヒーローや大好きなヒロインは現れることなく、全く役に立たない……彼らはテレビという枠を越える事はなく、あくまで仮想現実の世界の者なのだと薫は承知していた。

 「どーしたの?」
 「ううん、なんでもないよ」
 「うそだー、め、あかいもん」
 「そんなこと、ないよ……」



 薫はいいの?



 いつか諒と一緒に戦隊モノのショーに連れて行ってもらった時、薫の母はそう言った。
 ショーも終わり、ヒーローが壇上に再び登場して握手だの抱っこだの、そういう触れ合いの時間なのにも関わらず動こうとしない薫にじれったくなって聞いたのだった。


 うん。


 簡潔にそう答えた。 もちろん、ショーは楽しかったし、ピンチの場面では緊張もした。
 しかし、同年代の子供達が抱くような現実味は持っていなかったのだ。

 明日、自分が意地悪された時には目の前のヒーローが現れてくれるのではないだろうか?

 そんな誰しもが一度は抱く淡い期待もこの時の薫は持っていなかった。
 一時期はそんな期待も持っていたが、平均よりもやや早く幼き日の薫は想像と現実の世界に線を引いた。

 
 
 別に悲観的な思考をしていたわけでもないし、ましてや、舞台の影でピンクの格好をしたおじさんに現実を見たわけでもない。



 「あめふっててさむいし、かえろう?」
 「……うん」


 ただ……


 「おかあさんがクッキーやいたんだ、いっしょにたべようよ」
 「えっ、でも……」
 「はやく!」




 そんなテレビという一線を引いた世界のヒーローなんかよりも、本当に助けてくれるヒーローみたいな存在が居ただけだ。

 
 
 
 
 
 Episode 18
 ― 過去と現在の狭間で・前編 ―
 
 
 
 
 
  「私もよく行ったなー」
 
 週末。 波川 薫は珍しく一人でショッピングモールに訪れていた。
 以前、美咲達と一緒に遊んだ所である。
 ちょうど広場で行われていたショーを見かけ、無邪気に声援を送る子供達に薫は昔の自分を見た。
 あの頃は諒がやたらと凝っていたので、ほとんどそれに付いていっただけなのだが。

 「……と、こんな事してる時間ないんだった」

 飲み終えた紙コップをゴミ箱に捨て、ベンチから立ち上がる。
 伸びを一つして、もう一度舞台に目を向ける。 ちょうど敵が倒されようとしている場面で、子供達のテンションも最高潮だ。 その様子がどうしようもなく愛らしくてついつい微笑んでしまう。
 
 子供の頃の諒を見ている……そんな感じ。
 
 今はほとんど見せなくなった無邪気で無防備で、純粋な笑顔を見た気がしてなんだが嬉しくなった。
 
 「って、それじゃあ今の諒が捻くれてるみたいか」
 
 拗ねたような顔で反論する諒が浮かんで可笑しかった。
 もう少しだけ懐かしい思い出に浸っていたい……そんな思いに後ろ髪を引かれたが、結局目的の店に足を向ける。
 
 
 
 近頃、諒の様子がおかしい。
 足を動かしながらも、薫の意識を支配しているのはその一点のみだった。
 
 
 
 過ぎ去ってしまいそうで、しかし心の奥深くに在り続けた違和感が薫の中で形になりつつあった。 それに伴い、疑問は確信へと姿を変えてゆく。
 切っ掛けは、やはり先日の会話だった。 どこか苦しそうな表情が、頭にこびり付いて離れない。
 
 「…………」
 
 初めて見る表情だったのだ。
 月に手を伸ばす諒の姿が、まるで助けを請う囚人のようで。 なぜだか、無性に胸を締め付けられた。
 
 ( 囚人……か……どっちかって言うと、私だよね )
 
 自分の比喩に奥歯をかみ締めた。 なんという皮肉だろうか。
 
 「……わっ!」
 
 俯いた視界に突然子供が映る。 薫の足元を抜け、反対方向に駆けていった。 行き先はどうやら先ほどの広場のようだ。
 早くと急かす声が聞こえ、また数人が薫を避けて走り抜けていく。
 
 ちょうどいい。 薫はそう思った。
 悩んだって前に進めないなら保留しておくのも手だ。 子供たちが視界から消えるのを待ってから足を踏み出す。
 大体、今日は諒への恩返し的な意味合いで来ているのだから。
 
 
 
 「……着いた、と」
 
 目的の店の前で足を止める。 アクセサリーショップだった。
 
 
 
 「諒ってさ、あんましそうゆうの付けないよね」
 「持ってないしな」
 
 
 
 以前の会話を思い出し、気に掛かっていた事なのでちょうど良い機会ではないかと思ったのだ。
 
 「って確かあの時……」
 
 唐揚げを奪い取られた事を思い出してちょっぴりイラっと来た。
 無意識に握り締めた右拳を解くことが出来ないのはなぜだろう?
 
 「…………」
 
 そう考えると案外勢いだけでやっているのではないかと思わなくも無い。
 いつも諒には世話になっているし、それに対する感謝の意が無いかと聞かれれば、あると答えるだろう。
 
 ただ。
 
 ただ、あの時の唐揚げの恨み……どうしてくれようか。
 つまみ食いの欲求にも、早弁の欲求にも耐え、やっと対面した唐揚げ……その価値は計り知れないものがあるのではないだろうか?
 価格とかいう絶対値的な数値ではなく、自分にとってその価値はそんな小さな物差しでは計れない物を有していたのではないだろうか?
 
 少し濃い味付けのあの唐揚げの価値を誰が計れようか? 否、誰も計れないはずだ。
 プリプリの食感と衣のサクサク感のハーモニーは誰の為にあった? 決して諒の為ではないはずだ!
 
 人と唐揚げは一期一会なのに……よくも!!
 
 「……って何考えてんだ、私」
 
 冷静に考えたらとてつもなくどうでもいい事を考えていたな、と思いかえす。
 大体、一期一会って何だ。
 
 「はぁ……」
 
 ため息一つついて、店内に足を踏み入れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 啓吾宅――
 ソファに腰掛けた美咲はキッチンに視線を向けつつクッションを抱き締めた。
 
 「ねー」
 「なんだ?」
 
 ジュースでいいか? と、啓吾がペットボトルを持ち上げて視線をやると、美咲は頷いてみせた。
 
 「や、ちょっと相談したくてだね」
 「……どっちだ?」
 「んー……」
 
 少なくとも啓吾の知っている範囲で美咲が相談する事といえば二択しかなかった。
 その二択であれば主語を共有している為に無駄な言葉はいらない……そう考えての啓吾の発言は、美咲の沈黙を持って的を射たのだと知る事ができる。
 
 「……どっちも、かな?」
 「なんだそれ?」
 
 美咲は誤魔化すように受け取ったジュースに口をつける。 淡いピンク色のそれは啓吾宅で美咲専用になっているものだ。
 それに対して啓吾のマグカップは淡いブルーである。
 
 「晴菜にさ、恋愛相談みたいなのをされたわけよ」
 「みたいなの……?」
 「なんていう言葉を使えばいいかわかんないの。 その辺はスルーして」
 
 引っかかった部分を鸚鵡返しに聞くが、美咲も苦笑いするだけ。 言葉の通り啓吾はスルーする事にした。
 
 「で、その時にね、恋愛に周りは関係ないよって言ったんだけど……」
 「……けど?」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 
 その先の言葉は続かなかった。
 俯いた美咲の表情は読み取れず、ただ無言で時間が過ぎていく。
 
 しばらくその様子を見ていた啓吾だが、テレビのチャンネルを手に取って電源のボタンを押す。 リビングは一層の沈黙に包まれ、心なしか空気が締まる。
 そしてたっぷり時間をかけて数十秒、ついに啓吾が口を開いた。
 
 「自分は、関わろうとしてる……か?」
 「……うん」
 
 弱弱しく、声が消えていく。 カップを包む手に力が込められているのが啓吾から見てもわかった。
 その姿が痛々しくて、その手に自分の手を重ね合わせる。
 
 驚いたような表情の美咲と目が合う。 無意識に、微笑みかけていた。
 
 「そんなもんだよ」
 
 出来るだけ優しく、そう言った。
 少しでもその苦しみを和らげてやりたいと願う気持ちが伝わるように。
 
 「でも、でもね、一回だけじゃないんだよ? 何度かそう言った事があるのにさ……矛盾しちゃって……
 一丁前に語った事だってあるんだよ? それでも関わるなら責任を持てとか……」
 「だから、そんなもんだよ」
 
 きちんと目をあわせ、捲し立てるような美咲の言葉を制する。
 
 「お前だけじゃないさ。 たぶんお前に相談しに来た奴、全員わかってるよ、そんな事」
 「……啓吾……」
 
 美咲の様子が落ち着いたのを見ると、少し手に力を加えてから再び口を開いた。
 
 「恋愛は……人は……数式じゃない。 恋愛に周りは関係無いのも事実だけどな、好きな者の為に動く事が大切な時があるのも事実だ。
 お前も、理解はしてるんだろう?」
 
 だから悩むんだよな、と冗談めかして付け加えた。 ふっと、美咲の表情に笑顔が戻る。
 
 「お前と付き合って教えられた事だよ」
 「へへへ……」
 
 頭を撫でると美咲が甘えたような表情を見せる。 それが啓吾にとって堪らなく愛おしくて嬉しい反面、苦しめられた。
 
 「人に言う時はね、ちゃんとわかってるつもりで言ってるんだけど、ね……いざ自分が! ってなると自信なくなちゃって……」
 「わかるよ、そういうの。 だけど意地を張らなきゃいけない時もある」
 
 意地……美咲は心の中で復唱する。 啓吾だからこそ出てきた言葉だなと思った。
 
 「うん……だよね……」
 「ただ、自分で言った事は曲げるなよ? 無責任な事はするな」
 「うん。 よっぽどの事が無い限りは無闇に背中を押したりはしないよ……って……へ?」
 
 突然、美咲が疑問の声を挙げた。
 
 「啓吾は、関わってくれないの?」
 「……まぁ、な」
 
 純粋に疑問を投げ掛けた美咲に啓吾は苦笑する。 間を取る為にコーヒーを口に含んだ。
 ゆっくりと苦味を味わいつつ、視線を外に向ける。 雨雲が出てきていた。
 
 「……少なくとも諒と薫の事は放って置こうと思ってる」
 「え!? なんで!?」
 「俺は今の立ち位置をかえるつもりはない……あの日から俺はそう言ってるぞ?」
 
 あの日 ―― 美咲は思い出していた。 じれったくなって、つい付き合っていないのかと聞いてしまった春先の日の会話を。
 自分の問いに対して啓吾はさぁな、とぶっきらぼうに答えたのを覚えている。
 
 「まぁ、そんなわけだけど……なんかあったのか?」
 
 優しい口調で啓吾は聞く。 核心に触れていて、尚且つ逃げようと思えば逃げられる問い方。
 ……啓吾は基本的に人を追い詰める事はしないのだ。 ことさら、人の大切なものに触れるときは相手の逃げ道を作りつつ質問を重ねていく……その性格が如実に表れている問いだった。
 
 言いたければ言えばいい。……言いたくなければ俺は待っているぞ。 と、あくまでも選択権は相手に譲渡する格好で啓吾は人の悩みに向きあうのだ。
 
 「…………」
 
 いつもは嬉しいその心遣いが今の美咲には少し恨めしかった。 今、仮に啓吾が教えてくれと言ったなら、思いの丈も何もかも暴露できるのに。
 あくまでもその選択肢が提示されているのはお前だと啓吾は言いたいらしい。
 
 もちろん、美咲もそれはわかっている。 意を決して、重い口を開いた。
 
 「ちょっとね、受け止めるのが辛くなっちゃったの……」
 「そっ……か……」
 
 一瞬、啓吾は言葉に詰まった。 その間に大方の予想を立てる。
 
 「この前……絵里から久しぶりに連絡があって、ね……」
 
 そして、その予想は寸分の狂いもなく、的を射ていたらしい。
 過去に押しつぶされそうになるのを、なんとか堪えた。
 
 「もしかしたら、薫と諒君もあんな風になっちゃうんじゃないかと思うと、怖くなっちゃって……」
 「美咲……」
 
 無意識に、抱き締めていた。 ……小刻みに震える美咲を、守ってやりたくて。
 ただ、強く美咲を抱き締めていた。 



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