「理沙……いい加減飽きない?」
「飽きないねー。 中学からの腐れ縁の相方に恋人発覚!? だもんねー」
かれこれ7年目の親友と呼ぶべき(なのか?)存在。 理沙は満面の笑みでそう発した。
「で、どうなの?」
「どうなの? ってどうな……痛!」
「逃げない」
「むう……」
言葉を詰まらせ、机に突っ伏した私を理沙は相変わらずの笑みで見下ろしている。
発端は先日の手を引っ張られて……の流れ。 どうやら友達にもしっかり目撃されていたようで、理沙の耳に入るまでそう時間を要する物でもなく……あれから翌日である今日の昼にこうして食堂で問い詰められているわけだ。
まぁ、恋愛事に興味があるのは私も同じで当然だと思うし、それが他人の事になると余計に面白くなっていくという心理も理解出来なくはない。 ハル君が始めてバレンタインデーにチョコを貰って来た時はワケもなく焦って、小一時間、尋問に近い会話をしてしまった覚えもある。
しかし、だ。
「いい加減……ウザい」
「はいはい」
私の小さな反抗も大した効果はなかったよう。 理沙はパックのコーヒーを飲みつつ私を横目で睨んだ(少なくとも私にはそう見えた)。
「なんだ? 欲しいのかなー?」
「いらないわよ。 私だってちゃんと自分の水分ぐらい確保してます」
そう言いつつ理沙に見せたのはレモンティー。 昨日……彼の店に行って以来、パックのコーヒーは飲まないと決めた。 理由は簡単。 どれを飲んでもおいしく感じられないから。 一度あの衝撃を受けてみると彼がコーヒー "なんか" と言った気持ちも十分理解できた。
しかし、一瞬で私を虜にしたコーヒーを淹れてくれる店に彼は働いているのか……羨ましい。 彼の様に店を持つことを考えてなくてもあの店には勤めてみたいものだ。
それにしても……あの店の雰囲気、良かったな。 落ち着いて、ゆったりして。 どこか暖かくて。 マスターはああ言ったけれど、実は私は彼もその雰囲気に調和していたのではないかと思う。 マスターと話す彼の姿はどこか親子に似てて……ん? 親子?
「おっ……」
理沙が小さな声を挙げ、突っ伏す私とニヤつきながら向かい合った。 額にぶつかりそうな位置に理沙の顔がある。 あーあ。 これが彼氏ならな、と思わなくも無い。
「んじゃ、お幸せに」
「へ……?」
そう簡潔に告げると理沙はすぐに席を立った。 隣の席に置いていたトートバッグを掴んで声をかける間も無く走り去っていった。 そして、代わりに来たのが……
「やぁ、時間あるかな?」
「……コークスクリューブロー!」
「何でさ!?」
第三話 「 …………帰ってもいいですか? 」
「いたた……いや、この前言おうと思ったんだけど忘れてたことがあってね」
「なんです? 手短にお願いしますね。 具体的には20文字以内でお願いします」
「やけに棘があるね……」
先ほど理沙が座っていた席に彼は座った。 先日と同じくプリンを手に持っている。
そしてお決まりの「いただきます」。 毎度毎度律儀だと思う。
「まぁいいや。 僕のバイト先の事なんだけどね。 くれぐれも他人には言わないで欲しいんだ」
「……なんでです?」
意図を汲み取れず聞き返した私の言葉を彼は予測していたらしい。 にっこりと微笑む。 それ以外は特にリアクションを起こすこともなく当然のように言葉を続けた。
「いやね。 君ならわかると思うんだけど、あの店の雰囲気を大切にして欲しいんだ。 わかるだろう?
もちろん、ここの学生だろうが、君の友達だろうが勝手に見付けて入ってくる分には問題は無いんだけどね。 こう……もの凄く曖昧な話なんだけど……あの店に女の子何人かでこう……騒がれると、ね」
「あぁ……」
彼が言葉を濁した所でやっと意図する所がわかった。 なるほど、確かにあの雰囲気ではそうかもしれない。
「ほら、うちはああいうビジネス街にあるのと、わかりにくい場所だから元から学生は入ってこないんだけどね。 それでも入ってくる若い人は大体が偶然で、場違い感を感じてさっさと帰っちゃうし、そうじゃない人はどんな雰囲気かを知った上で来てるからいいんだけど……」
「私が言ってたから。 とかそんな物見気分で来られると困る、と」
「……ごめん。 別に君に来るなとかそういうワケじゃないから……」
「いいですよ。 私も感じてましたから」
机に頭が付くほどふかぶかと頭を下げる彼を私は制した。 少なからず予想出来ていた事だったし、むしろ私から聞こうかとすら思っていたのだから。
確かにあの店なら大人数で入ろうとは思わないし、若い人は敬遠するのではないだろうか。 それでも入ってくるなら仕方ない。 ようはあくまでも可能性を削りたいだけ、という事らしい。
「私もあの雰囲気は気に入ってます。 それをわざわざ壊すような無粋な真似はしませんよ」
「本当に……ごめんね」
「だから、いいです。 それに……あのコーヒーは自分だけの秘密、みたいな感じにしときたいですし」
「はは、そっか」
私が少し照れつつそう言うと、彼は満足したように笑った。 人懐っこいような、子供っぽいような。 どこかハル君を感じさせる。 って……あれ?
「……その話の方向性で行くと私を招いたのは変じゃないですか?」
「あぁ……」
今日は焼きプリンだったらしい。 表面の焦げた部分をスプーンの先でつつきながら至福の表情を浮かべる彼に言った。 すると。
「君は特例だから」
帰ってきた応えは簡潔なものだった。 それ以上でも以下でもなく……そんな感じの口ぶり。 はっきりしてるんだけど、どこか曖昧で……掴めそうめ掴めない……まるで彼自身のような言葉。
そんな言葉の意図を、彼が私の仕事の事をマスターに話していたからだろうか、等と適当なところに位置づけて納得した。
何も言わない私を彼は納得したと判断したらしい。 満足げに頷くと本格的に焼きプリンに手を付け始めた。
「ゴネられたらどうしようかと思ったよ」
「私はそんな人間に見られてるんですね。 心外です」
「ぐっ……」
「ふふ、冗談ですよ……って……頬に飛んでますよ。 まったく……いちいち礼儀をわきまえるなら綺麗に食べてください」
「うへ? どこ?」
頬……と言っても唇のすぐ近くなのだが、いかんせん言い方が悪かったらしい。 彼はまったく違う所を必死に擦っていた。
「あぁ……もう」
こんな所までハル君に似なくても……そんな事を思いつつ、いつもの癖でティッシュを取り出して彼の頬に近づけ……て一時停止した。 そして遠くの方……入り口の柱に隠れて(いるつもりらしい)こちらを覗う理沙と視線があう。
「……!」
あからさまに「しまった!」という顔をし、影に隠れた。 どうやら理沙は彼とは違って自分から動いて見つかる人だろう。
そして対称的にに私は一時停止し……
「…………」
「…………」
「…………」
「…………コークスクリューブロー!」
「だから何でさ!?」
カモフラージュに彼に渾身の一撃をお見舞いした。 んー……点数としては30点ぐらいだろうか。
「あ、いらっしゃい! あか姉」
「こんにちは、遅くなってごめんね?」
私を迎えたのは制服姿のハル君だった。 基本的に平日に勤める事は少ない私だが、その他全般の補佐という建前に則って変則的に沖田家に来る事もある。 今日がその日だ。 まぁ、アルバイトという立場は、言わば遊撃隊であるから仕方無いとも思うし、出来る限りなら手助けするのも悪くはないとは思う。 しかし、学校が終わった瞬間に電話でお呼び出しとは、いかがなものだろうか。
「今日は、何のお仕事しに来たの?」
「ん〜、あまり詳しくは聞かなかったからわからないけど……」
「そっか。 お仕事、頑張ってね」
「あ……」
少し寂しそうに微笑むとハル君は自分の部屋へと駆けて行った。 どうやら近頃私の "訪問" が "勤務" に変わったことに気付いたよう。 実情に何ら変化は無いとは言えハル君もその意味を薄々理解しているようで、無邪気に私を引き止めたり、駄々をこねる事も少なくなった。 しかし……少し対応が素っ気なかっただろうか。 気を遣ってくれている事はわかるのだけれど、もう少し甘えてくれてもいいのに……とも思う。
「あら、もう着いたの?」
「母さん……」
そのまま玄関に立ち尽くす私の目の前に現れたのは母だった。 わけもなく少し身構えてしまう。
「あなたが学校を終わる頃を見計らって連絡したのだけれど、早かったかしら」
「別に……ちょうど良かったよ」
ふつふつと湧き上がる感覚を自制しつつ返事する。 ちょうど理沙と服を買いに行こうとしてたとか、そういう事で怒りが湧いてきたわけではない。 母が他人を介して私に連絡を入れた事、母に私の行動を監視されているような感覚……それが気に入らなかった。
「それで今日は何をすればいいんでしょうか?」
感情があふれ出る前に、公私で言うところの "公" になる事にした。 一切の感情を交えずにあくまでも私はいちアルバイトの人間として。 そして母はその上司として。 "勤務" になってから自然と出来た私達親子の予防線の一つだ。 わざわざ名前で母の事を呼んだり……と言った厳しい物では無く心構えとして、なのだけれど。
「ええ。 少し庭の手入れが滞っているみたいなの。 そちらを手伝ってちょうだい」
「そんなのいつでも……そうか今週末にはハル君の誕生日か」
「だから、お願いね」
「……わかりました」
……必要以上に冷たい声が出たと思った。
公私混同をさせまいとした私の自制心からか。 それとも……
「やーやーお嬢よ。 すまんな」
悪びれもせずにはつらつと笑う日本人形を思わせる整った顔を見て、高ぶっていた気持ちは急降下……だけでは飽き足らず、地面に直撃。 尚も掘り進んでからやっと止まった。
「…………また何かくすねましたか?」
気分は絶対零度の私が言うと、ばつの悪そうな顔をして雅さんは体を引いた。 この御方、どうも酔うと手癖が悪く何かしらをくすねていかれるのだ。しかも、どうやら記憶だけははっきりあるらしい。 っていうか、ただの窃盗犯だ。
「……人をなんだと思う取るんじゃ……」
「酒を免罪符にする窃盗犯ですかね」
「……っぐ」
おお。 珍しい。 雅さんが黙った。
「と言っても仕方ありませんね。 冗談ですよ。 何かしらの罰なら私を呼んだりしないでしょうし」
「ぬぬ……お嬢も人が悪い」
「隠れ切れてない人間を見付けていたのに、わざと黙ってからかう誰かさんよりはマシかと」
「いやいや、あれはあ奴が可愛くてな。 びっくりして体を震わせるしぐさと言ったら……まるで猫じゃぞ?」
「……悪びれないんですね」
私がそう漏らすと雅さんは豪快に笑った。 母の事も、くだらない私の気持ちも。 その声はどこかへ笑い飛ばしてくれそうで。 ……少し、気持ちが落ち着いた。
雅さんのこういう所がいいなと思う。
「なぁ、お嬢よ。 聞きいても良いか?」
「何をです?」
いつだったか、先輩のお手伝いさんに悩み事を相談するなら雅さんだと聞いたことがあった。 その時は理解し難かったけれど、今なら少しわかる気もする。
雅さんはゆったりと人を受け入れ、いつの間にか悩みなんか笑い飛ばしてくれるからだろう。 そして何より……
「その……坊ちゃんの誕生日プレゼントは何にする?」
根本が誰よりも慈愛に満ちているからではないだろうか?
「ふふ……」
「何がおかしい?」
豪快で、酒乱で、いい加減で。 大人なのに子供っぽくて。 それなのに、誰にも底を悟らせないような懐の深さまで隠し持っていて。
一言で言うなら不思議な人。
だからこそ。 皆、雅さんを好きなんじゃないだろうか?
そして、雅さんも皆の事が好きなんじゃないだろうか?
だって、そうじゃないと……
「なんじゃ気持ち悪い! はっきりせい!」
「ふふふ、怒んないでくださいよ。 何も考えてないわけじゃないんでしょう?」
「そりゃあ、もちろん……」
ハル君の誕生日プレゼントに本気で悩んだりしませんよね? 雅さん―――
「そろそろエロ本でもどうかと……」
「…………帰ってもいいですか?」
成る程、やっと先輩の言葉を理解した。 この御方の馬鹿さ加減に自らの悩みがちっぽけに見えるのか。
終始無言のまま作業を終え、ふと空を見上げると夕日がビルの間に入り込み、それでも尚光り輝いていた。 綺麗だと思う反面、本来ならばビルが夕日に入り込んでいる筈なのに。 とも思った。
「お嬢は夕日は好きかの?」
「ん、私は……どうですかね。 微妙な感じです」
「なんじゃ? 煮え切らない」
「明確に好き嫌いを言える人もそう居ないと思いますが」
私がそう言うと、雅さんは困ったように笑った。 位置付け的には苦笑いよりは好意的、といった感じ。
「もちろん、綺麗だなとは思いますよ。 ですけどね。 夕日ってなんとなく寂しくなりませんか?」
「はは、お嬢もか」
「と言うと、雅さんも?」
「あぁ。 誰しもある程度は感じているだろうがの」
言い終わると、雅さんは再び夕日に目をやった。 つられて私も目を向けてみる。 ありきたりな表現だけれど、燃えるような赤に染められた太陽は一日の最後、その数時間に全てを賭したと思われるほど……ただ、赤だった。
「そこが良いとは思わんか? ただ燃ゆる朝日よりも。 優しく照らす月よりも。 真っ赤に燃えつつも……そこに儚さを孕んだ夕日の方が。 あの悲しげな様子が……私には堪らんのだよ」
綺麗なのに、寂しげで。 嬉しいのに、悲しくて。 そんな相反する二つの側面を夕日は持っているからの。 雅さんは小さくそう付け加えた。
「……矛盾だらけの雅さんらしいです」
「はは、相容れぬ二つを許容するのも夕日の良い所だの」
私の言葉に対して雅さんはそう言った。 私の言葉に取り分け反応した風でもなく、無視している風でもない。 そんな最大公約数的な言葉を私はどう受け取って良いのかわからず押し黙った。
「そうですか……」
その結果、私の口から漏れた言葉は中途半端な物だった。 肯定する事も否定する事も出来ずに……ただ保留するだけの言葉。
しかし、そんな私の反応でも雅さんは満足したように微笑んでくれた。
「そうなんじゃよ」
雅さんも、私に合わせたように曖昧な言葉を発した。 その一言を境に、私達は沈黙に支配される。
目を向けた先は ――― 夕日。
ビルに遮られても尚、その光りは暖かく……そして寂しげに私達を包み込んでいた。
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