ムカツクあいつ。

人の繋がりを糸で表したとするならば。
人との信頼関係はその糸で結ばれた風船といったところだろうか。


二人で一生懸命、力いっぱい膨らませて、繋がりという糸でしっかりと掴んでおく風船。

膨らませる努力をしなければ風船はしぼんでしまう。
繋がりという糸を放してしまえば、空高く飛んでいってしまう。


そうならない為に必死で守ってきたのに。
その風船を、私は一方的に割ってしまったんだ ―――






あの後。なんとか家に帰ることが出来た。
谷本に全部をぶちまけて、勝手に怒って、なりふり構わず、言いたい事言って。


結局残ったのは、何も無い。私が悪いのに、罪悪感すらも無い。
ただ、虚無感だけが私を包み込んでる。


馬鹿だと、自分でも思う。
私は何がしたかったのか。何をしようとしたのか。
実の事を言うと、あれだけ酷い事を言ったのに、内容はほとんど覚えていない。

酷い事をした。っていう事実だけは頭で理解できている。

なのに、心はどこか無関心で。
本当に自分がやったのか、はっきりしない。あくまで感覚的に、だけど。

「……何であんな事……」

誰か、私に分かりやすく教えて欲しい。
初めてのあの感覚……誰かに体を乗っ取られたような……

「怖い……」

あの時の光景が、断片的にフラッシュバックする。
動揺した谷本の声、表情。
他人の声のように聞こえる、自分の罵声。
そして、手を弾いた時の痛み。

「怖い……よ……」

思わず、自分を抱きしめた。


あいつは……谷本は……今、どうしているだろう?
今日は、どうするつもりなんだろう?
これから、私はどうすればいいんだろう?

不安ばかりが浮かんでは消えていく私の心のように、今にも振り出しそうな真っ黒な雨雲が、いつの間にか空を覆っていた。






次の日。私は、なんとか登校してた。
自分の席に座って、外を眺める。昨日の雨雲が、まだ残ってる。

「よー公平ー! 放課後ゲーセン行かねー?」
「いいぞー、今日は部活も無いしな」

びくん。と、体が反応した。

「久々に格ゲーで勝負しようぜ、いつも通り賭けで」
「いいけど、負けてから文句言うなよ?」
「けっ、俺はお前が部活で頑張っている間にゲーセンで修行積んだんだぞ」
「うわぁ……ゴメン。引くわ……」

いつも通りな谷本。
その姿に、無性に、安心した。

谷本の席は私の斜め後ろ。
話ながら谷本がこっちに向かってくる。

「なぁ、宿題やったか?」
「…………」

一瞬、目が合う。それに伴って胸が高鳴る。
いつもなら、ここで宿題がどうとか。一言しゃべって……
谷本がどんどん近づいてくる。
そして、すれ違い様……







「……当たり前だろ? これからは宿題もちゃんとやるさ」


風が、吹き抜けた。








私を無視して、自分の席に着く谷本。
"溝"を思い知って、涙が出てくる。顔を見られたくなくて、突っ伏した。

「……うぅ……」

心のどこかで、期待してたんだ。
いつもみたいに宿題見せてくれとか、どうでも良い事ばっかり言ってきて……
あいつが笑って。私も笑って。

そんな日々が、変わらずにまだここにあるんだって。

昨日のあれは何かの間違いだって。
俺は気にしてないからって。

悪いのは私。だけど……


そう、あいつに言ってもらいたかったんだ―――













それからの日々は驚く程味気なくて、だけど、いつも虚無感だけはまとわり付いて来て。
気がつけば、夏休みも終わって、新学期になってしまった。

その間、私と谷本が言葉を交わすことは一度も無かった。
ただの一度も……無かった。



先生が教室に来るまでの間。
いつものグループで喋っていた。

「ねー、夏休みの宿題終わったー?」
「まだー。数学終わってる? 回答見せてよ」
「英語って書き取りなんかあったっけ?」
「うわー、絶望的だよ。それ」
「…………」

気を使ってくれてるんだと思う。
あれ以来、友達と話す時に谷本の名前は一度も挙がることは無かった。

「公平ー! 今日こそはお前に勝つ!」
「カモが来て何騒いでんだよ? まっ、ジュース代は儲け。っと……」

谷本は、谷本で、楽しそうに喋ってる。

私は女の子で。谷本は男の子で。
私たちの関係が崩れてしまったら、弾けた風船を膨らませようとする事は一切無なかった。

そうしてゆっくりと、それでも確実に谷本は私の日常から消えていこうとしていた。

あの時感じた、先輩の事が消えていく恐怖。
それとは明らかに異質な何かが私の中に、確かにある。

「なんて、ね……」

ふと、外を見た。
雨雲が空を覆っている。

また、あの時の事を鮮明に思い出した。


「…………」


本音を言うと。
少しだけホッとしている自分が居る。

謝らなきゃいけない。そう思う。だけど行動に出来ない。
谷本と話す事が、怖い。

――― どうやって謝るの? 今更じゃない? 今度は私が拒絶されたら?

だから、今の状況に安心している。
こうすれば……これ以上、傷つかないから。

「……っ……」

自己嫌悪。唇をかみ締める。
少し、痛い。

どこまで自己中なんだ。私は。
勝手に怒って、勝手に叩いて、勝手に逃げて。
挙句のはてに自分が傷つきたくないから謝らない。

ここまで分かってても、動けない。だから又、自己嫌悪。

ずっと、こんな堂々巡りだ。




帰り道。特にする事もなくて、ただ外を見ながら電車に揺られていた。
いつもより早い時間。私の乗ってる車両にも人は居ない。

と、鞄の中に入れてる携帯のサブディスプレイが光った。

「ユキ……何だろ……?」

メールを開くと "明日宿題頼む" と、簡潔かつ漢字ばかりで無駄に読み辛い文面が私を迎えた。
ならば、とばかりに私も "わかった" とだけ返信する。


車両に人が居なくて良かった……。そう思う。
久々に見たあいつの姿。結構、堪えた。
思い出して……涙で視界が滲んでくる。

「た……にも……と」

私の声はすぐ電車の騒音にかき消されて、それ以上空気を振るわせる事は無くて。
車両の中には不思議な静けさが漂っていた。





「お腹……減ったな……」

自分の町に着くと、ちょうどお昼だった。
確か今日、お母さんは居ないんだ。昼はどうしよう?

そんな事を考えながら、駅前に歩き出した。
いつの間にか雲は薄くなって、間から日差しが照りつけている。

「暑い……」

鞄の中からハンカチを探す。
あー……色んな物が入っててどこにあるか分かんないー……
ペンケースやら。化粧道具やら。あ、イヤホン絡まってるし。

「もういいや……とりあえず、何処かに入ろ……」

仕方無く、歩き出した。





と、その時だった。




「麗華……?」







「えっ……?」

呼ばれて振り返る。そこには……

「朝……霞……?」

懐かしい。中学時代の親友の姿が、そこにあった。





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